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Ana Sayfaya Dön

🔴 #VIVANTep12 裏話⚫️ アリが乃木の二重人格に気付き 詰め寄るシーン🎬 本編では泣く泣くカットしたのですが このカットはアドリブによる続きが…㊙️ 別人格Fの拷問をなぜ止めないのか、 アリ役の山中崇さんが 鬼気迫る勢いで乃木に詰め寄る "完全アドリブショー"がスタート。 「もっと謝れよ!!!!」 この舞台裏の全編は TVer『VIVANT-Adventure Log-』で配信中📲 #VIVANT 13話放送は本日📺✨

6,940,463 görüntüleme • 8 gün önce •via X (Twitter)

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Benzer Videolar

リプ欄が人間で溢れてる。今日起きた出来事はXにとって歴史に残る象徴的な現象です。これまでのXは、伸びているように見えても、実態は自動化された反応や収益狙いの定型リプが先に目につく場面が多かった。けれど、このリプ欄に映ってるのは少し違う。日本の囲炉裏焼きに、アメリカ側が自国のBBQを持ち寄って返し、さらにそこへ別の文化圏の料理や言葉が重なっていく。 しかも反応が、煽りでも対立でもなく、「うちの食文化も見てくれ」「それはBBQというよりseafood boilだよ、でも教えるよ」といった、人間の温度を帯びた会話になっている。 ここが歴史的なんだ。 SNSの本当の価値は、拡散そのものじゃない。 異なる生活圏の人たちが、同じ話題を前にして人格のある反応を返し合えることにある。 肉の焼き方、囲炉裏、CoCo壱、ソウルフード、言葉の違い。そんな本来ならバラバラのものが、アルゴリズムによって一つのタイムライン上に並び、しかもリプ欄がBotではなく「ちゃんと生活している人間」で埋まっていく✨ これは、アルゴリズムが単に滞在時間を稼いだという話ではない。人間同士が反応したくなる文脈を発見し、増幅することに成功した、ということだ。 💡面白いのは、ここにあるのが正しさの勝負ではなく、文化の持ち寄りだという点。 アメリカの肉文化がマウントとして出てくるのではなく、日本の囲炉裏やすき焼きへの驚きと敬意が入口になっている。 そこへ「いやそれはBBQではなくseafood boilだ」と訂正が入っても、空気は壊れない。 なぜなら今このリプ欄では、勝つことより参加することのほうが価値を持っているから。 アルゴリズムが成功する瞬間というのは、まさにここだ。人が殴るためではなく、混ざるために集まってくる時である。 たぶんXが長く苦しんできたのは、会話を量で増やしすぎたことだった。 数字だけを追えば、リプは増やせる。 だが、増えたリプが中身のない定型文やスパムの温床なら、場は衰退する。誰もそれを読まない⚠️ 今回の現象が希望なのは、リプ欄に並んでいるのがそれぞれ固有の生活、固有の台所、固有の週末を持った人たちだからだ😎 焼き網の上にある肉の厚みまで、その人の人生の厚みとして見えてくる。これは単なる投稿の成功ではない。タイムラインが人間の展示場に戻った瞬間なんだよ✨ そして、ここにXの未来がある☝️ 政治や炎上や収益テクニックだけでは、人は長く居つかない😱 けれど、文化が文化を呼び、食が食を呼び、誰かの何気ない日常が海を越えて別の誰かの誇りを刺激するなら、そのプラットフォームは強い。 アルゴリズムの理想形は、怒りを増幅する装置ではなく、遠く離れた人間同士の「見せたい」と「見たい」を自然につなぐ翻訳機であるべきだから🥰 このリプ欄が人間で溢れているのは、偶然じゃない。 Grokが会話を増やしたのではない。Grokが、ようやく人間の会話が起きる場所を見つけたのだ。 もしこれを維持できるなら、Xはまだ終わらない。 むしろここからだ。 世界は対立でつながるより、肉や飯で「うちの飯も見てくれ」でつながるほうが、ずっと健全で、ずっと強い。

クレア

109,311 görüntüleme • 4 ay önce

日本って国はね、空気が読めるって自慢するくせに、いちばん大事な事実を読み違えることがある。見た目で人を分類しちゃうんだよ。で、その分類が外れると、急に頭がフリーズする。黒人だけど日本生まれ日本育ちの人が、どこ出身?、日本語上手だねって言われる。ここまでは、まあ悪意じゃない人も多い。 興味のつもりで聞いてる人もいる。 本人もThank youって笑って受け止めて、日本生まれ日本育ちですって丁寧に説明する。偉いよ。こっちが頭下がる。 でも問題はその先なんだよね。 「日本生まれ日本育ちなんだ。日本語どうやって勉強したの?」 って聞いちゃうやつ。 もうここまで来ると落語の間違ったオチなんだよ。 オチが成立してない。 聞いてる側の脳内では、黒人=外国人=日本語は勉強して喋るものって脚本が固定されてて、相手がその脚本を裏切っても、台本を直せない。 だから同じセリフを繰り返す。 本人は人生を説明してるのに、聞いてる側は偏見の確認テストをやってるだけ。これ、地味に刺さるんだよ。毎回だと疲れる。 一方で、介護現場の話が出てくる。 「外国人が介護をするなら日本語が読めないと困る😤」 これもね、言い方はキツいけど、現場の実務としては正論の面がある。介護ってのは優しさだけじゃ回らない。 記録、申し送り、投薬、医師や看護との連携、事故報告、家族への説明。全部言葉と文字でつながってる。日本語が読めないと、日本人職員が代筆、代行することになって負担が増える。最終的に危ないのは利用者さんだ。ここはキレイ事で誤魔化しちゃいけない。 で、ここからがこの国のややこしさなんだけどさ。 日本語ができないと困るという話が、いつのまにか見た目が外国っぽい人は日本語できないはずという雑な想像と、同じ棚に置かれちゃうんだよ。これが最悪の混線。 介護の話は能力と安全の話。 黒人で日本生まれの話は所属と尊厳の話。 まったく別の回線なのに、日本は平気でショートさせる。 介護現場は「飛行機の操縦席」みたいなもんで、マニュアル読めない人に任せられないのは当たり前。 でも黒人で日本育ちの人に操縦できるの?免許あるの?って毎回聞いてるのは、ただ顔だけ見て止めてる検問なんだよ。 しかも本人が免許を見せても、でもどうやって免許取ったの?って聞き続ける。 もう失礼とか以前に、しつこい。 あたしが言いたいのは、静かにしろとか、差別だとか、どっちかの正義で殴り合う話じゃないってこと。 この国が必要なのは、線引きの精度なんだよ。 介護は、言語能力をきちんと条件にする。 遠慮せずに。人手不足でもそこは絶対。 同時に、見た目であなたは日本人じゃないと決めつける癖は捨てる。 この両方を同時にやらないと、現場も社会も壊れる。 そして、黒人で日本生まれ日本育ちの人が言ってた人に興味を持つのは素敵って姿勢、あれがいちばん大事なんだよ。 興味を持つなら、最後までちゃんと持てよ、って話でさ。 確認のための質問じゃなくて、理解するための質問にしろってこと。 どこ出身?って聞くなら、日本ですで終わらせろ。 そこから先は、あなたの想像を押し付けるんじゃなくて、相手の人生を聞け。 日本って国は、ルールを守るのは得意なんだよ。 でも、相手の背景を受け止めるのは、まだ下手だ。 介護みたいに命が絡む現場は、言葉の基準を厳しくしていい。 その代わり、街の会話では、見た目で人を決めつける基準を捨てなきゃね。 この二つを同時にできたら、少なくともどうなってしまうんだこの国はって嘆く回数は減る。 日本語が第一言語の日本人に日本語どうやって勉強したの?って聞くのは、 寿司屋で板前に箸の使い方、独学?って聞くようなもんだよ。 いい加減、こういう見た目で判断する社会を笑って済ませちゃいけない段階に来てるんじゃないかしら?

クレア

2,244,536 görüntüleme • 7 ay önce