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#サンモニ 浜田敬子さん ⇒高市さんは、寝ずに国会答弁の準備したり資料を読んだりするということは、本来であれば国会の答弁のためにやるわけ。その答弁の時間が非常事態に短いと。本末転倒だと思う。 また家事で苦労しているとアピールするのではなく、変える政策を作るのがリーダーの仕事。

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最近サナ活という言葉がある。これは、高市早苗(たかいちさなえ)さんを応援する若い人たちが使う言葉です。政治家を推すなんて、ちょっと不思議に思う人もいるかもしれません。でも、これがすごく良いことなんです😊 推し活って、要は誰かを信じて応援すること。K-POPのアイドルを応援するように、 「この人の生き方、考え方がかっこいい!」 と思って応援するのがサナ活。 でもアイドルとちがって、高市さんは日本という国を守るために働いています。つまりサナ活は、日本を好きになる入口でもあるんです🇯🇵 高市さんはいつも、「国を守る」「家族を守る」「伝統を守る」と言います。 保守(ほしゅ)とは、「昔から大事にされてきたものを大切にする」という考え。 たとえば、家族を思いやる気持ち、ありがとうを言うこと、神社で手を合わせること。そういう優しさの中にある強さのことです。 サナ活は、ただのファン活動じゃなくて、守りたいものがあるってかっこいいと気づく若い人の動きなんです✨ あたしはこれをSNSから生まれる希望の政治だと思ってます。 今の時代、ニュースだけじゃなく、SNSで政治が広がります。 「サナかわいい!」から始まってもいい。 そこから「この人、どんな国を作りたいんだろう?」と考え始める。 それが、日本の未来を考える最初の一歩なんです。 サナ活は、好きから始まるやさしい愛国心。 高市さんを応援することは、自分たちの未来を守るリーダーを信じるという希望の行動です。 だから子どもも大人も、みーんなで。 「日本って、どんな国であってほしい?」 と考えてみてください。サナ活は、きっとその答えを探すきっかけになるはずです🌿✨

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【悲報】デニー玉城知事、自身が船に乗船した事実を問われ答えられずブチ切れられてしまう 沖縄県議会で 辺野古沖をめぐる抗議船について質問 ↓ 沖縄自民県議がまず確認 「多くの政治家がこの抗議船に乗っていたという 情報がありますが」 「知事も乗ったことはありますか」 ↓ 玉城知事は 「衆議院議員の時に 一度乗船をしたという記憶があります」 と認める ↓ さらに議員が 「その時はこの現場まで、工事現場まで行かれましたか」 と確認 ↓ 続けて自民県議は 知事就任後の視察についても質問 「その後知事になってから 船で視察に行ったという報道がありましたが これも事実ですか」 ↓ 知事は 「県有の船を使って海上から」 「サンゴの様子等々についてを見てまいりました」 と答弁 ↓ そこで議員が核心を聞く 「そのときの現場の状況と その現場を見ての所感をお伺いいたします」 「その時の工事の状況は?」 「この工事現場、どの程度進んでましたか」 ↓ しかし知事の答弁は曖昧 「色々と船は出ていたとは思いますけれども」 「厳しい状況であるというようなことでは なかったと思います」 ↓ 答弁が噛み合わず議会が一時混乱 ↓ 議員はブチ切れ 「質問して答弁がないから言ってるだけなんだよ」 「質問者が言ってるんだよ」 「何言ってるの」 「答弁漏れたからこっちも考えておるだろ」 「ここ書いてから質問してるんだよ」 「うるさいな」 ↓ 結局知事側は 「当時の資料が手元にない」 「明確に答弁をすることができない」 「記憶が曖昧」 と答えるだけで終了

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12.26(金)〜公開 NTLive『インター・エイリア』 世界的ヒット『プライマ・フェイシィ』の制作チームが贈る衝撃の新作舞台 スージー・ミラーの作品は観る前には考えたことがなかったことへ、自分の意識を向けてくれる、そんな舞台です。新しい意識の広がりへーー ぜひ映画館へ👀 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: <作者スージー・ミラーより> ラテン語の inter alia は「その他のことの中で」という意味で、法律の世界で使われる用語です。しかし、ここでは働く女性たちが日々の暮らしをどのようにやり繰りしているかを象徴しています。 女性たちは仕事においても並外れて努力していますが、それは「その他のこと」との両立のうえに成り立っています。その「その他」とは、家族の生活を調整すること、心の負担を引き受けること、家事をこなすこと、急な出来事に備えることなどです。ある女性はこう話してくれました――「私は自分の人生を、他の人たちの人生の“隙間”で生きているんです」と。彼女は仕事をしながら、学校に着ていく服やお弁当、食事の準備、送り迎え、さらに家に来る業者への対応まで背負っているのです。 母親であること、妻であること、職業人であること、そして社会の中の一人の女性であること――その間にある目に見えない境界線を、女性たちは常に行き来しなければなりません。その重なりや相反する期待は、最善を尽くしても困難であり、しばしば圧倒されるものです。さらに女性にはもう一つの層が加わります。それは、「すべてをやり遂げようとする女性」への社会的な評価のまなざしです。 作中のジェシカは“判事”であると同時に、“評価される側”でもあります。母親として、選択の仕方として、働く時間として、女性らしさとして、フェミニズムとして、パートナーとして――あらゆる点で彼女は判断されるのです。そして、多くの女性がそうであるように、ジェシカ自身もまた自分を“裁いて”いるのです。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

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お金は、貯め込むための数字ではない。自分と社会の間を巡る「エネルギー」なのだ。 瀬知さんの話で、まず印象に残るのが「時間は存在しない」という考え方です。 私たちは、生まれた日から年齢、出社時間、締め切り、年収、家賃まで、あらゆるものを数字で測っています。そのため、時間を絶対的なものだと思い込んでいます。 しかし瀬知さんによれば、私たちが「時間」と呼んでいるものの正体は、すべて「変化」です。 年を取ることも、環境が変わることも、夢に近づくことも、失敗して別の道へ進むことも、すべては変化にすぎない。時計ばかり気にしていると、「もう遅い」「間に合わない」「自分には時間がない」と焦り、せっかくのエネルギーをストレスに奪われてしまいます。 大切なのは、残り時間を数えることではなく、自分が望む変化に向かって動くことです。 そのとき、最初から大きな夢を持つ必要はありません。 「毎朝7時に起きる」 「今日は一ページだけ書く」 「気になっていた人へ連絡する」 そんな小さな目標を一つずつ達成していく。その達成感が次の行動を生み、やがて想像もしなかった場所へ自分を運んでくれるのです。 目指していたAには届かなかったとしても、動き続けた先でBやCという、もっと面白い答えに出会うこともあります。ひとつの夢に執着しすぎると、別の入口が開いていることに気づけません。 そして、時間と同じように、お金も単なる数字ではないと瀬知さんはいいます。 働いてお金を受け取る。買い物をしてお金を渡す。誰かのサービスを利用し、別の誰かの仕事を支える。これはすべて、エネルギーの交換です。 だから重要なのは、「いくら稼ぐか」だけではありません。 むしろ瀬知さんが重視するのは、「何に使うか」です。 ただ衝動的に散財するのではなく、本当に欲しいもの、自分の経験を豊かにするもの、誰かの仕事や社会を少し良くするものへ使う。高価な車でも旅行でも本でも、本人が大切にし、その先に生まれる変化を想像できるなら、それは生きたお金になります。 寄付も、何十万円、何百万円である必要はありません。コンビニの募金箱へ10円を入れることも、店で商品を買うことも、税金を納めることも、お金を社会へ戻す行為です。 もちろん、「使えば必ず同じ金額が戻ってくる」という魔法の話ではありません。使ったお金は実際になくなります。 しかし、お金を使えば新しい経験や出会いが生まれ、「また働こう」「次はこれをやってみよう」という行動の力が湧いてくる。その行動が新たな仕事や収入につながり、再びお金が巡り始めます。 瀬知さんのいう「お金の循環」とは、何もしなくても財布が膨らむ話ではなく、使う、動く、変化する、そして再び生み出すという流れなのです。 人生には、休まなければならない時期もあります。心や体が疲れているなら、無理に前進する必要はありません。ただ、少し元気が戻ったら、ほんの小さなことでいいから再び動いてみる。 時間とは変化であり、お金とはその変化を起こすためのエネルギーです。 そう考えると、本当に問うべきなのは「あと何年あるか」でも「いくら持っているか」でもありません。 限りある人生の中で、あなたは今日、自分の時間とお金というエネルギーを、どんな未来のために使いますか?

角由紀子のヤバイ帝国

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政治家のセキュリティークリアランスに関連して 「政治家の帰化歴ですとか、外国企業との繋がりは、公にして、選挙に挑むべきではないのか」 と問うた時に 「それは、法の下の平等に反する」とかで 政治家の情報は出さない と言っておきながら 今回の個人情報保護法の改正では 国民の同意なく 国民の健康情報を含め企業に出す と決まりましたし 裁判所の令状なく 国民の情報に関して行政行使ができる という報道がありました それはあまりにも情報の取り扱い方が ダブルスタンダードではないか と問いたかったです 自分たちの都合の悪い情報は出さない 自分たちの欲しい情報は取りに行く 企業から要請があれば出す それはあまりにも 情報の取り扱いの仕方として 間違っている ということを もう少し強く言いたかったし そういう点に関しての認識を 総理に問いたかったのですけれども いかんせん、総理の答弁が長すぎて 聞いていないこともお答えになるので ちょっと噛み合ってなかった というところが残念でした (副首都法案と総理答弁への評価は?) 総裁としての立場や総理としての立場 色んな立場を使い分けられるんです これは非常に不誠実だなと感じています 明らかに維新の吉村代表らと懇談をし 総理の決断で出された法案ですから それについて、どういう思いで どういうメリットを国民に与えたいと思って このタイミングで出されたかは 答えられるはずなんです それには言及を避けられた ということですから 答えられない というのが答えですから たいしてメリットはない 自分たちの党利党略で出しました というのが 私の行間を読んだ 受け止めでございます (党としての法案への評価は?) スカスカの法案だと思っています 副首都を作ることに関しては 我々も必要なことであると思います やはりこれは国家事業として どういった機能を代替させるのか どれぐらいの予算規模でやるのか どこに置くといいのか そういったことを各党から 意見を出し合って 一年ぐらいは最低でも時間をかけて やるべきものだと思います ~ 参政党代表 神谷宗幣 参議院議員 ~

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本日7月17日 高市首相の答弁 いつもの異様な答弁 この答弁は典型的な「聞かれてもいない自己弁護の長広舌」であり、政治家として極めて不適切で、視聴者に強い違和感を残す内容でした。 主な問題点 1. 質問と無関係な予防線を張りまくっている 明らかに「中傷動画作成」に関する追及を受けていない(または受けていない場面)で、冒頭から「私は作っていないし、依頼もしていない」と自ら火のないところに煙を立てるような発言を始めています。 これは「何か後ろめたいことがあるから先に言っておく」という典型的な防御反応に見えます。聞かれてもいないことを長々と語るのは、議事進行を無視したパフォーマンスに他なりません。 2. 「中継が入っているから」という言い訳が露骨すぎる 「中継も入ってますから、これは大事なこと」と自ら認めている点が特に滑稽です。 要するに「国民が見ている前で自分のイメージを守るために、関係ない話でも時間を取って語らせてください」と言っているに等しい。 国会答弁は国民に対する説明の場であって、個人のイメージ回復の場ではありません。この意識の低さが際立っています。 3. 「矜持」「誇り」といった言葉の空虚さ 自分を「政治家としての矜持」「誇り」と強調する一方で、具体的な疑惑には一切触れず、抽象的な自己正当化に終始。 こういう「私は清廉潔白です」と繰り返す人は、往々にして逆効果になります。真に潔白であれば、淡々と事実を答えれば十分です。長々と弁明する必要がありません。 4. 周囲の議員の反応も象徴的 隣の議員が資料をめくったり、メモを取ったり、退屈そうにしている様子が映っているのも痛い。 本人も「聞かれてもいない話」をしている自覚があるからこそ、中継を意識したパフォーマンスになっているのが丸わかりです。 総評 高市氏のこの答弁は、「疑惑を追及されたくない政治家が、質問をすり替えて自分のストーリーを一方的に語る」という古典的な国会パフォーマンスの好例です。 特に「中継が入っているから大事」と明言した部分は、国民を「イメージ操作の対象」としか見ていない傲慢さが表れており、非常に印象が悪い。 政治家は自分の都合の良いタイミングで「これは大事なことだから」と独演会を始める権利はありません。質問に誠実に答え、必要最小限で事実を述べるのが責任ある態度です。 このような「聞かれてもいない長々弁明」は、むしろ疑惑を深め、信頼を失うだけ。 「清廉をアピールしたいなら、まず質問にまっすぐ答えなさい」——これが多くの視聴者の率直な感想でしょう。

高市政権の独裁に反対するゆうこく連合有志の会

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AIによる労働の置き換えは、必ずしもディストピアではない。従属的な仕事から人々を解放し、人間らしさを取り戻す可能性のある革命でもある。食べるために働く必要がなくなった人々は、スポーツを楽しみ、絵を描き、子どもと過ごし、年老いた親を大切にする時間を持つようになる。 コースラ「私は、人々がやることはたくさんあると思います。ただし、それは、生きるために働く必要があるからではなくなります。まず人々が忘れているのは、この国やこの地球上の多くの仕事は、実は本当の意味での仕事ではないということです。私はそれを『従属労働(servitude)』と呼んでいます。たとえば、農場労働者として毎日8時間レタスを摘み、それを40年間続けるとか、GMの組立ラインで毎日8時間タイヤを取り付け続ける——そういう仕事は、もはや職業ではありません。生き残るためにやらされている『従属労働』なのです」 「それらの人々に、人生の時間を取り戻してあげられたら、なんて素晴らしいことでしょう」 コースラ「では人々は何をするのでしょうか? 人間は人間です。私たちは競い合うことが好きです。スポーツも好きですし、エンタメも好き。何かで秀でることが好きなのです。たとえ凡庸な画家でも、自分のために絵を描くことを楽しんでいます。それがニューヨークのオークションハウスで評価されるかどうかとは関係ありません。 人々は、自分の得意なことを極めるようになるでしょう。スキーでも、輸出業でも、なんでもいいんです。私は、人々がもっと子どもたちを大切にし、仕事と育児の板挟みに悩まされることがなくなり、年老いた親ともっと時間を過ごせるようになるという未来がとても好きです。やることはたくさんあるのです」 「この未来が来るという自信はどのくらいありますか?」 コースラ「高いです」 「80%くらい?」 コースラ「もっと上です。この未来は実現すると、私は非常に高い確信を持っています。2050年までに実現する可能性は50%以上だと思っています。時期の予測は難しいですが」 「でも、2200年までには確実に実現すると?」 コースラ「それは間違いありません。2060年までに実現しなかったら驚きます」

Tsubame

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