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Ana Sayfaya Dön

ファッションADHDについて ファッションうつ病や、ファッション希死念慮なんかよりも、ずっとポジティブで元気になれるから、みんなも自称ADHDを楽しむといいよ(๑¯Δ¯๑)/ 「本物の方々に失礼」と怒る奴らは、ただの勘違い君ゆえ、がんがん無視しよう! 22時半あたり、YouTube配信をやるぜ!

52,020 görüntüleme • 5 ay önce •via X (Twitter)

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Benzer Videolar

ADHDの地獄あるある! 好きな遊びも苦痛になる! YouTubeの義務配信について! ↓動画内の語り、全文文字起こし すこぶる残念な話、地獄の沙汰も『金』『女』『数字』次第――我々はドパガキの最終形態! つまり、『右肩上がりに進んでいる感』とか、『進化適応している感』とか、『なんらかの成果を勝ち取った感』がないと、「つまんねーよバーカ!」って拗ねるのが、ADHDのお家芸なんですよ。 しかも、『愛があって本気で好きなこと』だからこそ、「あれもこれもやらねば!」って作業量を増やすせいで、僕らが最も苦手とするマルチタスク状態がおっぱじまって、身も心もキャパオーバーしちゃうと。 すると、疲れによって扁桃体がぼわっと過熱して、「何もかもがやべぇ気がする!」って日常に脅威を感じやすくなって、そのせいで、「金/女/数字……下剋上じゃ!」って思考がチンピラ化するんだよ。 ぱぱっとデカい報酬を得なきゃ、不安が踊り狂いまくる。 皮肉なことに、好きの熱量が高い分だけ空回りするもんだから、ちっとも頭が働かなくなって、五感が正常に作動しなくなって、世界全体が灰色に見えてきて、生きるすべてがつまらなくなる。 そんなこんなで、『YouTubeの義務配信』って実は素晴らしいんだよ。 なぜかって、夢とかロマンとか情熱とか才能とか、そうしたエネルギーに期待して、「超楽しいから毎日やっている!」の勢いだけだと、どこかで一気に崩れがちだから。 つまり、愛が強過ぎると憎しみへの逆転もえぐくなるという、『視聴者の反転アンチ』みたいなものが、自分の精神世界で起こっちゃうんだよ。 なので最初っから、「僕にとって配信業とは、投げ銭とエロい女を捕まえる狩り!」、そう大々的に宣言してゲーム的に活動する方が、脳への負荷を軽減しやすい。 その結果、日々のプレッシャーも薄れて、やわらかい思考でみんなと交流できるから、副産物的に、誰かの心も救いやすくなって、『好き』と『稼ぎ』と『感謝』の三転倒立が可能なんだよ。 そして僕が好きな名言、次のようなセリフがあって。 【幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、幸福がぼくのなかに棲みはじめた。 アンドレ・ジッド】 この気づきと一緒で、「配信業なんざ金と女を得るための義務っしょ!」って、野蛮な態度で走っている方が、新しい課題を見つけたり問題に対処したり、仕事人としてサクっと動けるわけですよ。 すると、「好きなことなのに疲れた」ってヘコたれずに済むし、それどころか、淡々と数を打っているうち、そのプロセスで作業興奮が起きて、脳がぐるぐると回るから、「毎時間マジで楽しいなー!」って快の感情が芽吹くんだよね。 つまりは、『義務が娯楽化してゆく』という逆転現象。 しかも、「義務的なんざ当たり前っしょ」って、自分に期待せずに過ごしているから、楽しくてもつまらなくても、モチベに頼らず継続可能なんだよ。 なんにせよ、配信業に関わらず、『食うための金稼ぎが必要な仕事』って、綺麗事だけじゃ通用しなくなるよね。 さらに恐ろしい話、この僕自身もそうなんだけれど、恵みにあふれた時期――たとえば連日、スパチャが5万10万と届いたり、かわいい子がリア凸してくれたり、贈り物が届きまくったりで、「この突然の好循環はなんなんだ?」ってくらい、上昇気流に乗れていると、「金だ同接だなんて二の次三の次だよ! 心から楽しんでこそ人生!」みたいに、頭の働きがおりこうさんになるんだよ。 つまり、『動物的に将来安定』『生物として淘汰されにくい』、こんな状況がキープされていると、ナチュラルにラブ&ピースの心構えになって、「みんなありがとー! すこぶる感謝!」って、日常がきらっきらのお花畑になってゆく。 それとは逆に、「最近のYouTubeアルゴリズム、全然味方してくんねーなー」ってことで、同接が低かったり、スパチャの飛びが悪いと、「我が最大の敵国は日本なり!」ってくらい、ケダモノみたいに目玉がギラついてメンタリティがサタンになるんだよね。 すなわち、愛の原材料は『金』『女』『数字』。 やっぱり忘れちゃならないのは、『人間の精神力は無限じゃない』事実を、頭に刻み込んでおくこと。 さらに言えば、『心から楽しもうとする』ことなんかよりも、『心に忠実な自分である』ことの方がずっと、生きやすさにつながってゆく。 僕の経験則的にも、顔では笑っているけれど心がつまらないときより、「今日おもしろくねーな! いったん義務でやるわ!」って、リアルな感情そのままで態度が悪い時のほうが、コメントもスパチャも、まず間違いなく動きやすい。 もっとめちゃくちゃな話、『特定の視聴者への感謝』にしても、現在進行形のことには「ありがとう!」だけれど、「過去の思い出はゼロだよ、恩人は一人もいません!」ってくらい、すっきりしている方が良いんだよね。 つまり、がちがちな営業職と一緒で、『客としての質』でしかこっちは判断していないから、「あんまり金を引っ張れなさそうだな」とか、「距離感を間違えてやがんなこいつ」とかで、イライラしたら切り捨てた方が気持ちよく活動できるってこと。 そんなこんなで正々堂々、好感度なんざ度外視にして、『刺さる奴だけに刺されば良い』という姿勢で生きてゆく。 ※今日は22時半あたりからYouTube配信をやるぜ(๑¯Δ¯๑)/

ADHDマン黒髪ピピピ

231,651 görüntüleme • 4 ay önce

ゆゆうたと発達障害について ADHDを免罪符にする事が愛のはじまり ↓動画内の語り、全文文字起こし おふざけの話ではなくて、僕たちが問題行動を連発するのは、前頭葉のバグ――脳みそのせいなんですよ。 つまり、反省とか後悔とか謝罪とかほとんど効果がないので、「今度こそはちゃんと生きる!」という心構えは、むなしい努力でしかない。 むしろ、我々ADHDの民は『正しく生きねば!』という制約があると、「もっと怒らせてやろうか世間の野郎ども!」って、挑発的なエネルギーが沸いてしまう。 すると、「さすがにやめとけよ」って空気の中、どわーっと快楽中枢が暴走して、常識なんざ存在しない古代人のモード――「槍ぶん投げてやっからよ!」って勢いで、一瞬でズボンを脱いだりする。 要するに、「さっさと刺激をくれ!」って欲望が剥き出しになるってこと。 しかも昔々、100年前の医学書、ADHDの項目に、『道徳的統制の欠如』と書かれていたのもあって、僕らは頭の中がスラム街、マジでなんでもあり、しくじると大変危険なんだよね。 実際問題、『刑務所の中にはADHDがシャバの3倍いる』、そのような話(報告)もあって。 だからこそ、「反省できない」とか「言い訳だらけ」とか、雑に批判したり罰したりするのではなく、『脳の特性に合わせた改善計画』が必須であると。 さらなる話、『ちゃんちゃら勘違い君』が多いんだけれど、僕たちADHDの民って、「お猿さんみたいに多動」ってよく言われるけれど、実のところ、やる気の燃料――ドーパミンの動きが悪いゆえ、『石像みたいに無動』ってのが、まず最初の現実なんだよね。 まるで海の底で金縛り状態、ちょっとやそっとでは浮上できない。 その結果、「息苦しくてしょうがねぇ!」ってことで、エラー的に発狂するごとく、盗んだバイクで走り出したり、渡り廊下で先輩殴ったり、走ることから逃げたくなったりで、人生が迷走してぐちゃぐちゃになってゆく。 つまり、ADHDの脳みそってのは、常時、刺激不足ってこと。 言うなれば、あまりにも寂しい深海にずぶ~んって、沈んじゃいそうだから、「まだ死にたくないよ!」みたいに、バタバタと荒ぶっちゃうんだよ。 でもって、僕が好きな海外ドラマ、『このサイテーな世界の終わり』で、【その日 静寂に音があると知った 耳をつんざく音】という名セリフがあって。 これと一緒で、ADHDにとって『脳の退屈』は、「このままだと自分がぶっ壊れるかも!」ってくらい死活問題。 そんな訳なので、ADHDの確定診断を『戦略的な免罪符』にして、脳みそへの負荷を極限まで下げた方が、ラブ&ピースになるんだよね。 社会悪のレベルがちょっとは下がるってこと。 つまり、「とにかく自分は異常者である!」という認識をしながら、「僕は何かやらかすかもしれませんよ?」って、きちっと周囲にも伝えておけば、相互監視の状態になるから、ただの気合い根性なんかよりも遙かに、生き方が安定するんだよ。 でもって有名な企業のキーエンスが以前、性善説でも性悪説でもなくて、『性弱説』というのを持ち出して、組織運営をしていると語っていたんだけれど。 要は、元から強い人間をのぞけば、精神論なんかじゃ人は変わらないし、ろくに進化もしないから、ふわっとした人間力には期待せずに、結果を叩き出せるまで仕組みを改良しまくれってこと。 そしてなにより、「ADHDを免罪符にするな!」って激怒する、オコリザルみたいな奴らもいるけれど、人間社会にある99.9%、その生みの親は、『ADHDレベルの高い原始人』なんだよ。 ゆゆうたなんて一秒で凌駕するホンモノの命知らずたちが、人類の祖先がいた故郷である、アフリカ大陸から飛び出して、めくるめく冒険をして、我々が生きる今に繋がっていると。 そんで僕は昔、フロムソフトウェアのゲーム『ダークソウル3』が好きだったんだけれど、これはいわゆる無理ゲー、○にゲーと評されていて、文字通り何百回、何千回とゲームオーバーになりながら、いつかのクリアを目指すんですよ。 つまるところ、この無理ゲーを現実世界でやったのが、ADHD的な遺伝子を備える、いにしえの奴らであると。 普通に考えても、海でサメに食われて詰んで、山で熊に食われて詰んで、崖から滑り落ちて詰んで、未知の感染症で詰んで……。 まるで命のドミノ倒し、それでも捨て身の原始人たちが、命さえもかなぐり捨てる衝動によって、この世界を切り開いて来たんだよ。 しかもその過程においては、ADHDらしく歌い踊って、殴り合って、叫び合って、そうこうして爆発的に起きたのが認知革命――。 簡単にいえば、神様だ法律だ人権だ夢だ希望だといった、考えること会話すること人間であることが、本格的に始まったんだよ。 そう考えりゃ、神様も天国もこの地上世界さえも、「ゆゆうた万歳!」って熱量で、全部ADHDの成果物だと言えるね。 ※本日のYouTube生配信、遅くとも23時までにやるぜ(๑¯Δ¯๑)/

ADHDマン黒髪ピピピ

310,056 görüntüleme • 5 ay önce

[ ウィラ ] 訳 241129 ミンギュ . 💎バーンアウトにどうやって打ち勝つ? . 🐶僕は動き続けるようにしてるよ。あえて必要のない約束をしたりしてでも、忙しい状況を作るようにするんだ。それが僕なりの打ち勝つ方法な気がする。バーンアウトが来たときに一人で家にいると、考え込んでしまうし 自分が何をしてるのか、どうしてこんなことしてるのか?って悩むよりは寝る時間も無いぐらい忙しく過ごした方が落ち着くんだと思う。 🐶人は誰だってバーンアウトが来ることがあるよ。悪いことでは無いと思う。僕はバーンアウトの良いと思うところは、人って気持ちが落ち込むときがあるからこそ、気分が良いときがあるし、楽しいときがあったら、憂鬱なときもあって感情には起伏があるじゃないですか。幸せなことばかりな人が幸せなわけではないし、喜びばかりの人が幸せなわけでもないと思うんだ。色んな感情の調和が取れている人が幸せだと僕は思うんだけど、バーンアウトは一生懸命に生きてきたから起きるものなんじゃないかな? こんなことを僕が言っても良いのか分からないけど、バーンアウトが一度も来たことがない人は最善を尽くして努力したことがないんじゃないかな?とも思うよ。もちろんバーンアウトの基準は人によって違うけどね。それを乗り越えてこそ、より強くなれるし、バーンアウトはいつかまた起こるものだから、絶対になりたくないと思うものでもない気がする。風邪みたいなものだと思ってるよ。

👼🏻pang👼🏻

238,995 görüntüleme • 1 yıl önce

【悲報】飛び降り配信、無事に警察が阻止。 女子高校生2人が飛び降り生配信中に 警察に保護されました。 でもいつも思うのよ。 今回たまたま止められただけで、 次は人目のない場所で決行するかもしれないのに 寄ってたかって止める意味なに?て。 目の届くとこで死ぬなって感じ? その記事に「警察よくやった」とか「死ぬな」とか コメントしてる人おるけどさ、無責任でしかないよ。 その人がどんだけ苦しんでるかも知らんし、 手を差し伸べるわけでもなし、 ただ倫理感で「死ぬな」を押し付けるだけ。 自●に反対してる自分に陶酔すんのやめて〜。 言っときますけど、今回 "生きようとしてる人"が助かった話ちゃうで? "死のうとしてる人"が助かった話やで? それのなにが良かったの?って。 もう古いって。 「死にたい」と感じる人がいることも、 「もう十分苦しんだ」と思う人がいることも、 社会はもっと受け止めるべき。 何が言いたいかというと、 日本も安楽死、合法化してほしい。 国民に「死ぬ自由」を与えてやってほしい。 もちろん、気の迷いとか、勢いとかで 簡単に死ねるようにするべきではないから 厳しい手続きの上でね。 線路に飛び込みだの、ビルから飛び降りだの 他人に迷惑をかけて悲惨な形で死なれるよりも、 自分の意思で安らかに人生を終えられるという 選択肢があったほうがいいと思いませんか? んで、こうやって自暴自棄になって 人様に迷惑かけるような人には すんなりと合法的にあの世に行ってもらえる法律 あったほうがよくないですか? って言いたいんですよ。

藍染ガレソの悲報

772,392 görüntüleme • 1 yıl önce

「グエー死んだンゴ」ってさ、ネットだと軽いノリの断末魔ギャグみたいに見えるんだけど、現実でそれが最後の言葉になった瞬間、笑いってやつが急に重たくなるのよね。笑っていいのか、泣いていいのか、手が止まる。で、止まったところに気づく。「この言葉、ふざけてるんじゃなくて、ふざけるしかなかったんだ」って。 映像の中のお父さんが言う「なんでうちの子が」 これね、親の口から出る言葉として一番まっとうで、一番残酷。答えが出ないから。病気は抽選会じゃないのに、当たった側だけが人生ごと持っていかれる。 しかも類上皮肉腫みたいな希少がんって、名前すら知られてない、、、だから余計に「うちの子が」になるんじゃないかな? で、この話の刺さるところは、息子さんが亡くなったあとに物語が動き出すところです。 予約投稿って、便利な機能だと思う。 だけどあれが今回は時間差の手紙になった。本人はもういないのに、言葉だけが世界に届く。 まるで、遅れて届いた花束に、棘が混じってるみたいなもんだ。 嬉しい。 ありがたい。 でも痛い。 痛いけど、花なのよね。 しかも、普段SNSを見ないお父さんが、葬儀が終わってから息子の人生の続きをスマホで知るわけだよ。 これ、「生きてる時に言えなかったことが、死んだあとに通知で届く」っていう奇跡でもある。 親子って近いようで、いちばん遠い時がある。 照れくさくて、忙しくて、まあそのうちでいいかって先送りして、気づいたら電池切れ、、、 お父さんが「ありがとうって言えなかった」って話、あれは胸に来る。時計の電池より先に、言葉の電池が切れちゃったんだよね、、、 でもさ、希望もあるんだよ。 この件がすごくバズったって事実には、アルゴリズムが悲しみを燃料にして回してる感じは確かにある。 命の尊さでバズらせるな!って声もあるけど、あの投稿が、希少がんの存在を人に知らせたり、寄付が集まったり、「一人じゃなかった」を可視化したのも事実じゃない? つまりSNSってのは、包丁なんだよ。 料理にもなるし、怪我もする。使う側の手つきが問われる💡 息子さんが、病気に「デカすぎ」ってあだ名をつけて、検査のことまで面白い面白くないで語ってた。 これね、強がりってより礼儀なんだよ。 周りを暗くさせないための礼儀。 自分の恐怖を、自分で笑いに変換して、他人の心の負担を軽くする。 芸人みたいなことを、死にかけの若者が病室でやってた。そりゃ人を引き寄せるって言われるよ。笑いは才能だけど、笑いの裏にある痛みは、本人しか背負えない。 「グエー死んだンゴ」をただのネタにしちゃいけない。 あれは、令和に投下された遺言の形式なんだよ。ふざけた形でしか出せない本音がある。 そして、見てる側も、拡散する側も、たまには一拍おいて、リポストの指が動く前に、線香一本分くらいの間を心に置くのもいいんじゃないかしら? 笑っていい。 でも敬意を忘れない。 最後に、親も子も、言葉をケチるなと言いたい。 照れくさいありがとうってのは、もったいぶるほど高くつく。これ、言ったら減るんじゃない。言わないと、気がつくと残高ゼロになる。 息子さんが最後に残したのは、バズでも名言でもなくて、「人間ってやつは、弱い時ほど誰かを笑わせようとする」っていう、静かな証明だったんじゃないかな?

クレア

2,858,313 görüntüleme • 9 ay önce