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何度観てもビョークの歌声に心が震える「ダンサー・イン・ザ・ダーク」、今まさに絞首刑になる寸前に息子が目の手術をして失明の危機を脱したことを知り歌い出すビョーク、何もいいことがなかった彼女の人生のたった一つの夢がかなった場面、これは最後じゃなく最後から二番目の歌と歌う…胸が痛い。

6,579,060 views • 1 year ago •via X (Twitter)

10 Comments

ちゅう's profile picture
ちゅう1 year ago

2000年のデンマーク作品、カンヌ国際映画祭でパルムドールとビョークが主演女優賞を取っている。徐々に失明していく幸薄い母親を演じるビョーク、貧しくても懸命に生きているけどすべてが悪い方向に進む、重く辛い物語だけどミュージカル好きのビョークの笑顔に救われる、心震える名作。

いまさらむーみん's profile picture
いまさらむーみん1 year ago

ちなみにこれ本当は息子の手術が失敗して発狂して死ぬ予定だったんだけどそれを知ったビョークがそんな話なら私はもう撮影しない!!!って現場から居なくなったので監督が泣く泣くオチを変えたらしい

犬の奴隷's profile picture
犬の奴隷1 year ago

二度と観たくない名作の一つです

やっさん(愚民)'s profile picture
やっさん(愚民)1 year ago

映画館に見に行ってボロ泣きして「もう二度と観たくない」ってなった作品。 今 観たら違う想いになるんだろうけど……観たくないかなぁ……辛すぎた。 ビョークの歌は好き。

R:moor's profile picture
R:moor1 year ago

2度と見たくない名作って同じ気持ちの人がいて土日の休み幸せに過ごせそう

よっちゃん's profile picture
よっちゃん1 year ago

趣旨とズレますが、6年前にリリー・フランキーさんが仕事した20代前半の子達を料亭みたいなところに連れて行った時、 薄暗い廊下で女将さんが「段差にお気をつけて」と言った時にリリーさんが「段差ーインザダーク」とダジャレ言ったら、その子達ポカーンとしてたそうな😮笑

おてんばジャンクション's profile picture
おてんばジャンクション1 year ago

胸糞映画と言われてるけど私は4回は観てる 遺伝する病気と知りながら子供を持った事の償いに全て受け入れた母 困難にぶち当たる度に始まるミュージカルシーンが悲しくて良かった 親切にしてるけど移民に対して軽侮してる感じのあの夫婦もリアルだった

ももねこさん's profile picture
ももねこさん1 year ago

この映画、素晴らしいけど 二度観ようとは思えず 心に閉まってある...

びーえむ's profile picture
びーえむ1 year ago

映画館で観て、初めて観なければよかったと思った映画。これお話もまあまあ酷いんだけども、終始手ブレが酷くてね、、、

ロビン's profile picture
ロビン1 year ago

これどうなんだろと思ったなあ 死刑になるかなあとか 刑期を終えたビョークを大きくなってメガネを外した息子が迎えるって方が良かったと思う

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nave

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のえぴん

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Sam Nishio

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NYの9月11日テロから25年。いつもは個人的なこと書かないけど、今日は私の人生にとって大切な日なので、書きます。#9月11日 実は私はその頃NYに住んだばかりで、あの日をある程度体験したヒトなのです。 World Trade Centerからは少し離れた場所だけど、朝、バイト先に着いてしばらくして、ニュースで、NYだけでなくペンタゴンもやられたと知った。 外に出ると危ないと残る子たちもいたが、私はやはり自宅へ帰ろうと思った。 もうその時点で外に出ると、ダウンタウンのほうにWTCが破壊された原爆のそれのように大きなきのこ雲が見えていた。(添付した写真が私が見たのに近い) 歩道にはダウンタウンのほうから灰を体中にかぶった灰色の人たちが、あの現場から上のほうへ上のほうへと歩いてきていた。ゾンビに見えた。 皆、口をハンカチや手などで覆い、下のほうへ向かっ て歩く人は一人もいなかった。 なんとか地下鉄駅にたどり着いたら「閉鎖している のでバスで行け」というので、バス停へ。来たバスは 満員だけど運よく乗れた。 ところが、バスがミッドタウンのEmpire State Buildingに近づいてくると、バスの中では「今度はここに飛行 機が突っ込む」というデマが湧き、人々が狂ったよ うに他人を押しのけはじめた。 彼らは走っているバスから無理やり降りようとし、 人々が雪崩のように出口のほうに殺到する阿鼻叫喚の 事態に。 私も一瞬「もはやこれまでか」と思ったが、あるひと つのことに救われた。 後部座席のほうの黒人女性たちが、なんとその狂乱の さなかに「神はあなたとともにいる」とゴスペルを歌 いだしたのだ。最初は一人、そしてまた一人・・と次々に歌声が増えた。 その歌はなによりも力強く、凛々しく、私はバスを降りるよりなぜかこの女性たちと一緒にいたい、と思った。 心の表面は不安でいてもたってもたまらないのに、私の魂は、子供の頃にやさしく自分の眠りを包んだタオ ルケットのような彼女たちの歌にくるまれてしずかに 呼吸していた。 守られていた。 そして、人々が次々に降り、彼女たちと私とごく少数の人を載せたバスは、Grand Central Stationに到着。 ここからはもうバスも電車も機能しなくなっていたので、そこから家まで歩き。 40ブロック位、セントラルパークの中も通って自宅の あるアッパーウエストまで歩いたが、 あの、インディアンサマーの、心に突き刺さるほどの雲一つない澄ん だ青空を、私は一生忘れない。人生で最も美しい青空、と思った。 そしてNYでは数日ほど、道を歩く見知らぬ人々と「お 互い生き延びているので、がんばろう」みたいなア イコンタクトが多かった。彼ら彼女らの視線は、 恐怖と愛と連帯に満ちていた。知らない人たちなの に、みんながつながっている感じだった。 World Trade Centerで亡くなった人々の中には日本人も 24名いた。今私が住んでいるビルに住んでいた日本人 の方もお亡くなりになってます。 皆さん、どうか、どうか、一日一日を大切に生きてください。 生きてる間にできる限り愛の言葉や優しい言葉を伝えてください。 もしかしたらその人は突然明日いなくなるかもしれない、 それか、あなた自身がいなくなるかもしれない、ので。 追記:NYで多くの消防士、警察官などの人々が、帰っ てこれない可能性を知りながら崩れ落ちるビルの中に 救命のために入り、命を落としました。 世界は、人間はまだまだ捨てたもんじゃない、です。

Mimi Yamazaki

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