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『停戦は朗報 でも日本の席はなかった』 ホルムズ海峡 2週間の停戦合意 ひとまず本当に良かった ペルシャ湾の日本関係船舶45隻にも光が見えた これは素直に朗報 ただ ひとつだけ書かせて 仲介したのはパキスタンのシャリフ首相 交渉したのは米国とイラン イスラエルも合意の輪に入った 世界中の名前がテーブルに並んでる中 原油の93%がこの海峡を通る日本だけが『不在』 4月2日に商船三井のLNG船がホルムズを通過した時も、日本政府関係者は「政府は交渉に関与していない」と答えてる 『日本はその場にいなかった』

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【ホルムズ海峡、停戦違反で再び閉鎖か?】 イランのファルス通信によると、停戦以降、ホルムズ海峡を通過できたのはわずか2隻の船のみで、その後再び通行が止められたという。これは、イランが、米国とイスラエルはレバノンへの攻撃を行い、停戦合意に違反したとみなしているためである。 パキスタンのシャバズ・シャリフ首相は、中東の紛争地帯の複数箇所で停戦違反が確認されたと述べた。サウジアラビア国防省は9機のドローンを迎撃したと発表し、イランのイスラム革命防衛隊も、停戦宣言後にイラン領空でイスラエルのドローンを迎撃したと発表した。 イランのペゼシュキアン大統領は、イランにとって中東における戦争が終結する条件のうちの一つは、レバノンにおける停戦であると話した。しかし、ホワイトハウスは、米国とイランの停戦合意は、レバノンには関係がないとの立場を取っている。 「ヒズボラのせいだ。彼ら(レバノン)はディールに含まれていなかった。これも対処される。問題はない」とトランプ氏は、公共放送サービスの記者の質問に答えた。記者は、なぜイスラエルが隣国への攻撃を続けるのかとの質問をトランプ氏に投げかけていた。 8日、イスラエル国防軍は、今回の情勢悪化以降最大規模となる、レバノンにおけるシーア派組織ヒズボラの施設への一連の攻撃を実施したと発表した。攻撃は10分間にわたり、情報部中枢・指揮中枢、火器インフラ、海軍部隊、およびヒズボラの精鋭部隊「ラドワン」の施設を標的にしたとされている。

Sputnik 日本

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日本と海外で人気に差があるアーケードゲーム①:センチピード アタリの代表作の一つで、映画「ピクセル」でも大きく取り上げられたタイトルだ。 うーん、有名なゲームだけどセンチピードの他にも取り上げるべきゲームはあるんじゃ?と思った日本人の方も多いのではないか。正直私もそう思った(続く) しかしこのセンチピードは、1982年の北米において売上ランキングでミズ・パックマン、パックマン、ドンキーコングと共にトップ4(正確には3位タイ)に入る程の大ヒットタイトルであり、移植版やクローンゲームも数え切れないほど出ているバケモノゲームなのだ。だから映画でセンチピードが取り上げられたことに疑問を持つ米国人は恐らく少なかっただろうと思われる。 一方日本では、米国リリースの数年後に発売されたものの米国ほどの人気は得られなかった…というかゲーセンで殆ど見なかったような気がする(個人の感想です)。 このゲームの大ファンの方には申し訳ないのだが、私はこのゲームがちょっと合わない。完全に後追いでプレイしたせいだろうか。当時の筐体でトラックボールを使ってプレイすれば、また違う印象を持ったのかもしれないが…。 本作の人気に差があったのは、単に日本での出回り数が少なかったからなのか、欧米人と日本人の感性の違いからなのかは分からない。恐らく両方の理由だろうと思うが、個人的には後者の「国ごとの感性の違い」に興味がある。ギャラガやドンキーコングやパックマンのように双方の国で大ヒットしたゲームもあるのに、センチピードはなぜ日本ではヒットしなかったのか…。 ビデオゲームは比較人類学の研究対象にもなり得るのではないかと個人的には思っている。 ちなみにこの「日本と海外で人気に差があるアーケードゲーム」のポストは、第4回まで続ける予定です(※)。 #レトロゲーム ※アーケードゲーム限定です。また、当時に海外もしくは日本でしか発売されなかったゲームは除きます。

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異世界アイドル☆パラレルパレード NEO AKIBA ARCHIVE LOG R-20 ―船底― 船底に、時間の感覚はなかった。 昼も夜も、光では分からない。ただ機関の唸りが、腹の底に響く低い痛みとして続いているだけだった。 空気は湿り、鉄と油と、微かな死臭に似た匂いが混じっていた。誰かが以前ここで死んだのか、それとも運ばれてきた荷が腐っていたのか、確かめる気にはなれなかった。 グンソは膝を抱え、目を閉じていた。 眠っているわけではない。 眠れば、あの音を忘れてしまう気がした。 一度目。 二度目。 そして、間延びした三度目。 耳の奥で、その音は今も鳴っている。骨に響くような、鈍い衝撃音。あれが何だったのか、グンソは考えないようにしていた。考えれば、想像してしまう。 想像すれば、たぶん壊れる。 その数を、指の関節で数えていた。爪が掌に食い込んでいることに、しばらく気づかなかった。 「……何を数えてる」 ヘジュの声だった。掠れて、疲れきっている。 グンソは答えなかった。 「音か」 ヘジュは、それ以上聞かなかった。聞いても、答えが誰の救いにもならないことを知っていた。 暗闇の中で、五人はそれぞれの姿勢を保っていた。ソンミンは扉に背をつけ、刃物の柄に手をかけたまま動かない。ドンチョルは膝に顔を伏せ、時折、喉の奥で押し殺した音を漏らした。泣いているのか、それとも吐き気を堪えているのか、誰も確かめなかった。テジュンは記録片を握ったまま、指の皮が擦り切れるほど強く握り続けていた。 誰も、故郷の話をしなかった。 話せば、戻りたくなる。 戻れば、今度は自分の番になる。 だから、誰も口を開かなかった。沈黙は五人を守る最後の壁だった。 「……テジュン」 長い沈黙の後、ドンチョルが言った。声に張りがなかった。 「その紙、まだ持ってるのか」 テジュンは答える代わりに、握った拳を少しだけ開いた。 焼け焦げた記録片。端は炭化し、触れるだけで崩れそうだった。かろうじて読めるのは、消えかけた「ソナ」という二文字だけ。それ以外の文字は、熱で歪んで判読できない。 「捨てろとは言わない」 ドンチョルが目を伏せた。 「ただ、それを見るたび、俺たちがまだ何かを背負ってるんだと分かる」 「重いか」 「軽い方が、おかしいだろう」 「軽くなったら、それこそ終わりだ」 テジュンが低く言った。 「忘れた瞬間、俺たちはあいつらと同じになる」 誰も、その言葉を否定しなかった。 船体が、大きく傾いた。 外洋に出たのだと、誰かが呟いた。壁を伝う振動が変わり、機関の音が一段低く沈んだ。それからどれほどの間、その振動が続いたのか、誰も正確には言えない。世界は、故郷の外へ出た者が思うより、はるかに大きかった。 グンソは膝の間に顔を埋めた。 無窮花の押し花は、外套の裏地に縫い付けてある。潰さないように。失わないように。指先で、その硬い感触を確かめる。花弁はとうに乾き、触れるたびに崩れそうな脆さを保っていた。それでも、まだそこにある。 「兄さん、これ、押し花にしたの」 「帰る場所を、忘れないように」 あの時のソナの声を、グンソはまだ覚えている。震えていて、それでも笑おうとしていた声。 だが今、故郷はもう帰る場所ではない。 帰れば、殺される。あるいは、殺されるより先に、存在ごと消される。 名簿には、五人分の特徴だけが載っていた。 顔写真もなく、名前もなく。ただ身長、瘦せ型、逃走経路の推定、目撃時の服装。 存在しなかったことにされた人間が、存在しなかったことにされた船で、地図にすら残らない街へ向かっている。 生きているのに、記録から消されている。 それは、死ぬことよりも静かで、死ぬことよりも長く続く消え方だった。 「……テジュン」 グンソが、初めて自分から口を開いた。声が掠れていた。 「アルトリウスって、本当にあるのか」 「積荷票にはあった」 「地図にはない」 「地図が古いだけかもしれない」 テジュンの声には、確信がなかった。それでも、その言葉にすがるしかなかった。縋る場所がなければ、この暗闇の中で、五人は自分たちが本当に存在しているのかすら疑い始めていた。 どれだけ進んだのか、誰にも分からなかった。 食料は幾度も尽きかけ、そのたびに甲板の誰かがどこかで調達してきた。水も、燃料も、同じだった。積荷票に記された行き先はひとつなのに、船は幾つもの港に立ち寄り、また離れた。地図にない土地、灯継ぎの噂だけが残る土地、名前すら伝わっていない土地。世界は、グンソが思っていたよりも遥かに広かった。故郷から一歩も出たことのなかった頃には、想像もできない広さだった。 船底の暗闇は、時間の感覚を等しく腐らせていく。日数を数えることを、いつからか誰もしなくなった。数えても意味がないほど、長かった。 ただ、機関の音だけが、暗闇の中でずっと鳴り続けていた。何日も、何十日も。 一度、遠くで何かが軋む音がした。ソンミンが刃物の柄を握り直し、全員が息を止めた。 それは船体の継ぎ目が軋んだだけだった。誰も、それを声に出して確かめようとはしなかった。 そんな夜が、何度も繰り返された後―― 甲板の上から、誰かの声が響いた。くぐもって、遠く、それでも確かに聞こえた。 「見えたぞ」 その一言に、五人は同時に顔を上げた。 「灯りだ……街の灯りが、見える」 グンソは、狭い隙間に顔を押し付けた。錆びた金属の縁が頬を切ったが、痛みは感じなかった。 黒く濁った空の下、遠くに、青紫の光が滲んでいた。 一つではない。 無数の灯りが、まるで水面に映る星のように、連なって光っていた。 それは、故郷にあったどの灯りとも違っていた。 故郷の灯りは、暖かく、生活の匂いがした。この灯りは違う。冷たく、静かで、まるで誰かが息を潜めて灯し続けているような、そんな光だった。 ネオンでも、松明でもない。 祈りに似た、灯りだった。 「あれが……」 ドンチョルが息を呑んだ。目の縁が赤く濡れていた。 テジュンが、震える声で言った。 「あれが、アルトリウスか」 誰も答えられなかった。 だが、その光を見た瞬間、グンソの中で何かが冷たく凝固した。 存在を消された自分たちが、それでも進んだ先に、灯りがあった。 名前を失っても、灯りは消えていない。 それが希望なのか、それとも次に消される場所なのか、グンソには判断できなかった。この世界では、優しく見えるものほど、後で牙を剥くことを、もう嫌というほど知っていた。 グンソは、狭い隙間の水たまりに映った自分の顔を見た。 何ヶ月も梳かれていない黒髪が、潮を吸って束になり、頬に張り付いている。無精髭が伸び、頬はこけ、目の下には濃い影が沈んでいた。故郷を出た時の自分とは、もう別人のようだった。 それでも―― グンソは、外套の内側の押し花にそっと触れた。乾いた花弁が、指先でわずかに崩れる感触があった。 「……着いたら」 グンソが呟いた。声に、初めて何かが戻っていた。怒りに似た、何か。 「ここで、また名前を取り戻す」 ソンミンが、初めて小さく笑った。乾いた、痛みを堪えるような笑い方だった。 「取り戻すためにここまで来たんだろう」 「ムジンの分も」 ドンチョルが呟いた。 誰も、それに答えなかった。答える必要はなかった。 船は、青紫の灯りへ向かって進み続けた。 暗い海の向こうに、まだ誰も知らない街が――五人がまだ知らない何かを内側に隠した街が――静かに待っていた。 機関の音が、一段と深く鳴った。 まるで、船そのものが、これから起きることを知っていて、それでも進むしかないと諦めたかのように。

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リアリティをもって世界を考えられるようになる。 みなさんから寄せられる反響を見ていると、 万博の本当の意義は、まさにそこにあったのではないかと改めて感じる。 インターネットが普及し、 世界中のどんな情報でも簡単に手に入る時代に、 万博を開催することの意義は? と問われていた。 しかし万博が示したのは、 情報ではなく、文化を体感し、人と繋がり、実感をもって世界を考えることの力であった。 藤本壮介さんが掲げたテーマ 「多様でありながら、ひとつ」。 対立と分断が加速するこの世界にあって、 文化も、宗教も、利害も異なる世界中の国々が、 大屋根リングに囲まれひとつになり、 同じ場所に集い、 同じ空を見上げる。 藤本さんが何度も語っていたあの光景が、 いま、世界の緊張が高まるなかで、悲しいけれども、これほどまでに意味を持つことになろうとは。 「One World, One Planet.」 万博会場で、毎夜見上げたあの言葉。 あのときは未来へのメッセージとして輝いていた。 しかしいま、その言葉は、 私たちに対する問いとして響いている。 本当に世界はひとつになれるのか。 万博が残したものは、 いっときの楽しかった思い出ではない。 世界を、自分ごととして考える力である。

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世界が待っていた初優勝❗️【 I 🧡 RALLY アイラブラリー No.110 文:エンピツ舎 あめかよ】ドライバーの人気は、名前が呼ばれた瞬間の歓声やどよめきに表れることがある。2025年のラリー・カナリアで強く印象に残っているのが、ラス・パルマスのスタジアムで行われたスーパーSSの熱気だ。 ショーアップされたバスケットボールアリーナには独特の高揚感があり、観客席から見ていると、どの選手にどれほどの期待と愛着が集まっているのかがよく伝わってきた。 世界チャンピオンに大きな歓声が上がるのは自然なこと。地元にゆかりのある選手が強く支持されるのもよくわかる。けれど、その中で強く印象に残ったのが、勝田貴元の名前がコールされた瞬間だった。 「カツゥター!」 その響きとともに起きたどよめきに、思わず驚かされた。なぜ、遠い日本から来たひとりのドライバーに、ここまで大きな声援が集まるのだろう、と。 ラリーを知るまでは、カナリア諸島のことを身近に感じていたわけではなかった。ヨーロッパのひとつの島で、「勝田」の名前にこれほどの反応が返ってくる。その光景を前にして実感したのは、ただの“日本の人気選手”という枠だけでは語れないということだった。 速さだけではなく、誠実な人柄、ひたむきさ、苦しい時間を経ても挑戦を続ける姿、そして見ている側に応援したいと思わせる何か。そうした積み重ねが国境を越えて伝わり、世界のラリーファンの心をつかんできたのだと思う。だからこそ、ケニアでつかんだ初優勝は、単なる勝利以上の意味を持った。本人にとって悲願だっただけでなく、多くの人が待ち望んでいた勝利でもあった。 海外ラリーをいくつか見る中でも、あのカナリアで感じたタカさん人気の熱量は忘れがたい。世界はずっと勝つ瞬間を待っていたのだと、今ならはっきりわかる。 次は、日本がその熱を受け取る番だ。5月のラリージャパンでは、海外で示されてきた人気に負けない大きな声援で迎えたい。5月のラリージャパンでは、海外で勝田選手に注がれていたあの温かな声援のように、日本を訪れるさまざまな国やチームの選手たちを応援したい。そんな歓声が行き交う景色こそ、この大会をいっそう特別なものにしてくれるはずだ。 ✳️「FORUM8 WRC2 Most Stage Wins Award」は2026シーズンも継続! 🚘 FORUM8 Rally Japanの情報はここから 👉 #WRC #forum8 #iloverally #SafariRallyKenya #ラリージャパン FIA 世界ラリー選手権WRC

フォーラムエイト ( FORUM8 )

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面白いのは、彼らが反応しているのが、厳密には日本そのものではなく、「アメリカ文化を丁寧に扱う日本」に対してだということです。KFCは本来アメリカ発の大衆チェーンなのに、日本ではそれが妙に清潔で、妙に安定していて、妙にちゃんとおいしそうに見える。するとアメリカ側は、自国の記号を海外で見ているはずなのに、なぜかそこに理想のアメリカを見つけてしまう。だから「家の近くのアメリカ」「アメリカがそこにはある」という冗談が、ただのネタを越えて少し切実になる。 これはかなり現代的な現象だと思う。 人はもう、自国の理念を自国の中でだけ確認するとは限らない。むしろ外部に、より整った形で保存されている自国性を見て、安心したり、感動したりする。 アメリカ人が日本のKFCや、日本に点在するアメリカっぽさに熱狂するのは、異文化に驚いているというより、自国で失われた手触りを、他国で回収しているからだ。 しかもそこにあるのは、高尚な政治理念ではない。自由、友情、親しみ、ジャンクフード、チェーン店、冗談、雑な愛情表現。つまり国家の公式文書には載らないが、たしかに国民感情を支えていた生活のアメリカだ。 彼らは日本に対して敬意を示しているようでいて、同時に自分たちがかつて信じていたアメリカの陽気さや無邪気さを、日本の風景の中に見つけて興奮している。 だからコメント欄の「God bless the Japanese people」や「I have no notes on Japan」や「Protect them at any cost」は、誇張されたネットミームのように見えて、実はかなり本音に近い。 政治の文脈ではなく、文化の受容のされ方において、「こちらのものを、こんなふうに好いてくれるのか」という感動がある。 人は自分を批評されるより、自分の好きだったものを愛してもらえた時のほうが、ずっと深く心を開く。 一方で、コメントの中には「アメリカのKFCはもうそんなに良くない」「日本のほうがうまそう」という自虐も混じっている。 ここも重要だ。 いま起きているのは単なる日米友好ではなく、アメリカ側の自己認識の揺れでもある。 自国のチェーンより海外店舗のほうが美しく見える。自国の雑さや劣化を、日本の几帳面さが“補完”してしまう。 すると日本は、アメリカ文化の消費者ではなく、ある種の保存修復者のように見えてくる。 この構図は、じつはかなり日本的でもある。 日本は昔から、外来文化をそのままコピーするのではなく、一度受け止めて、再配置して、磨き上げて、別の完成度にして返すことがある。 洋食も、ジーンズも、ジャズも、喫茶店文化もそうだった。今回のKFCも同じで、日本はアメリカを崇拝しているわけではない。 ただ、自分たちなりの秩序と美意識の中に置き直している。その結果、アメリカ人が見ても「あれ、こっちの本家より愛されてないか?」となる。 ここでさらに興味深いのは、この現象が政治を通らずに起きていることだ。 国家間では意見が割れる。歴史認識でも、安全保障でも、経済でも、人はすぐ身構える。 けれどKFCのチキンひとつで、「日本人最高」「移住したい」「このミーム好き」「友達になってる」と感情が溶ける。 もちろん全部が本気ではない。 でも、こういう軽い冗談の往復の中でしか育たない親しさもある。 SNSはしばしば憎悪を増幅するが、ときどきこうして好意の連鎖も爆発的に広げる。 そしてたぶん、この流れがここまで愛された理由は、日本がアメリカを論じたのではなく、食べたからだ。思想ではなく味覚で返し、批評ではなく生活で受け止めた。 だから相手も防御せずに笑える。 文化交流がうまくいくときは、たいてい正論の交換ではなく、こういう少し抜けた入口から始まる。家の近くのKFCを近所のアメリカと呼んでしまう、その雑でかわいい比喩の中に、外交官の文章よりもよほど健全な感情がある。 私が言いたいのは、これは単なるミームではないということだ。 アメリカ人は日本のKFCを見て笑っているのではない。 そこに、自分たちの文化がまだ誰かに愛され、しかも本国より丁寧に扱われている光景を見て、少し救われている。 国はときどき、自分の美点を自分の中では見失う。 でも他国の食卓の上に、それがちゃんと残っていることがある。 だからこれはチキンの話でありながら、どこかで「文化はまだ仲直りできる」という話でもある。

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