Загрузка видео...

Не удалось загрузить видео

На главную

「判決を勝ち取った これから第2の人生」 ↑放送&NHK ONE配信 7月19日あさ8時25分~ 今週の #Dearにっぽん えん罪被害者の前川彰司さん 40年前の事件で、身に覚えのない殺人容疑で逮捕 去年やり直しの裁判で無罪が確定した 60歳で新たな人生を歩み始めた日々の記録 #milet

Комментарии: 0

Нет доступных комментариев

Здесь появятся комментарии из оригинального поста

Похожие видео

「無実だ」と 一審から言い続けた。 2018年、今西貴大さんは2歳の養女への傷害致死・強制わいせつ致傷・傷害の罪で逮捕・起訴された。 すべての罪を一貫して否認した。 裁判員裁判で傷害罪は無罪となったが、残りの罪で懲役12年とされた。 医学鑑定は言った。 「交通事故に匹敵する外力なしに、あの傷はつけられない」 最高裁は全員一致で検察の上告を棄却した。 7年後、ようやく無罪が確定した。 大阪市。 「大阪2歳養女傷害致死冤罪事件」。 今西貴大さん(37歳)は2018年、当時2歳の養女に虐待を加えたとして傷害致死・強制わいせつ致傷・傷害の罪で逮捕・起訴された。本人は一貫して否認。裁判員裁判では傷害罪は無罪となったが、懲役12年の判決が下された。 今西さんはどんな状況に置かれたのか。 今西さんは語った。 「7年以上ものあいだ置かれていた被告人という立場から、ようやく解放されました。いまは、ほっとした気持ちで胸がいっぱいで、言葉も見つかりません」 7年以上、被告人だった。 一貫して「無実」と言い続けた。 何が問題だったのか。 高裁の判決は指摘した。 「頭にけがを残すことなく、交通事故に匹敵するほどの外力を加えることができるかどうかは、常識に照らして相当、疑問がある」 「被告人の供述や被害児の母親の証言を通じてみても、被告人が身体的虐待を加えていたことを示す事情は、見出せない」 医学的に「あの傷はつけられない」と言った。 証言からも、虐待の証拠は見出せなかった。 それでも、一審は懲役12年だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 2021年3月25日、大阪地裁(裁判員裁判)は懲役12年の有罪判決を下した。控訴審では医学的鑑定により今西さんの犯行ではありえないことが示され、結審とともに保釈。2024年11月28日、大阪高裁で逆転無罪を言い渡した。 一審の裁判員は、12年と判断した。 医学鑑定が「ありえない」と示した。 高裁でようやく、無罪になった。 今西さんは語った。 「人質司法や冤罪が多くの人生を破壊している」 自らの体験を生かして弁護士を目指していると語った。 「人質司法が、多くの人生を破壊している」 これは今西さんだけの言葉ではない。 🔴 最終判決 2026年3月3日付で、最高裁判所第三小法廷は検察側の上告を「全員一致」で棄却した。大阪高裁の逆転無罪判決が確定した。 一審で懲役12年、有罪とされた。 医学鑑定で「ありえない」と示された。 高裁で逆転無罪になった。 最高裁で全員一致で確定した。 それでも、7年以上かかった。 裁判員は医学の専門家ではない。 「虐待に見えた」という印象が、12年を生んだ。 今西さんが7年以上を失った間に 日本では何人の冤罪が生まれたのか。 あなたは、医学的に「ありえない」と示された犯行で7年以上被告人にされた今西さんの事件を通じて、この国の「人質司法」と「裁判員制度」に、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

516,078 просмотров • 1 месяц назад

少女が苦しむ姿を見たかった。 それが加害者の性癖だった。 9歳の侑子ちゃんは お腹から血を流し、うつ伏せで倒れていた。 防御創はなかった。 衣服の乱れもなかった。 指紋も足跡も目撃情報もなかった。 事件は14年間闇の中だった。 そして加害者はその間に 4人の少女を襲っていた。 2004年9月3日、岡山県津山市。 「津山小3女児殺害事件」。 2004年9月3日午後3時35分頃、岡山県津山市総社に住んでいた小学3年の筒塩侑子(つつしお ゆきこ)ちゃん(当時9歳)が、自宅で殺害されているのが発見された。発見したのは学校から帰宅した高校生の姉(当時15歳)だった。 侑子ちゃんはどんな子だったのか。 司法解剖の結果、侑子ちゃんは胸や腹などを幅の狭い凶器で数ヶ所刺されていた。死因は失血死か窒息死だった。衣服に乱れは全くなく、手に防御創もなく、首を絞めた跡や口や鼻を抑えた形跡もなかった。室内に物色した形跡もなかった。 抵抗の痕跡すらなかった。 何もかもがわからなかった。 何が起きたのか。 犯人の指紋や足跡、目撃情報もなく、犯行の動機も全てが不明だった。事件は長年未解決のままだった。 2008年3月19日、侑子ちゃんが通っていた津山市立北小学校で卒業式が行われた。亡くなった侑子ちゃんにも卒業証書が授与された。 同級生が卒業する日、侑子ちゃんは卒業証書を受け取った。 本人はもういなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 加害者はその14年間、何をしていたのか。 2000年、兵庫県明石市で女児6人に対し、腹部をげんこつで殴ったり、下腹部を触ったりするなどした暴行・強制わいせつの罪で有罪判決(執行猶予付き)を受けた。 2004年、津山で侑子ちゃんを殺害した。捜査の手は及ばなかった。 2009年、兵庫県姫路市・三木市・太子町で少女5人の腹部を殴るなどし、懲役4年の実刑判決を受けた。 2015年、姫路市で中学3年の女子生徒をナイフで刺し重傷を負わせた。 侑子ちゃんを殺害した後も 少女たちへの暴行を繰り返していた。 6人。5人。そして中学生。 加害者は「少女が苦しむ姿を見ることで性的に興奮する」という性癖を持っていた。 14年間、誰も気づかなかった。 その間に何人もの少女が被害に遭った。 🔴 逮捕と判決 2018年5月、別の殺人未遂事件で服役していた勝田州彦(当時39歳)が被疑者として逮捕された。事件発生から実に14年が経っていた。 2022年1月、岡山地裁は無期懲役の判決を言い渡した。勝田は裁判で無罪を主張し続けていたが、2023年9月、最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定した。 無罪を主張し続けた5年間。 2024年、フリーライター宛の手記で初めて自身が真犯人であることを認めた。 14年間、誰も捕まえられなかった。 その間に加害者は6人、5人、1人の少女を傷つけた。 逮捕後も5年間、無罪を主張した。 判決確定後にようやく罪を認めた。 侑子ちゃんが死んだ年、加害者を止められなかった。 その後に被害を受けた少女たちも救えなかった。 もし2004年に逮捕されていたら、 その後の被害者は生まれなかったのではないか。 あなたは、14年間捕まらなかった加害者がその間に何人もの少女を傷つけ続けたこの事件に、何を思いますか。
1:44

Sensitive content

少女が苦しむ姿を見たかった。 それが加害者の性癖だった。 9歳の侑子ちゃんは お腹から血を流し、うつ伏せで倒れていた。 防御創はなかった。 衣服の乱れもなかった。 指紋も足跡も目撃情報もなかった。 事件は14年間闇の中だった。 そして加害者はその間に 4人の少女を襲っていた。 2004年9月3日、岡山県津山市。 「津山小3女児殺害事件」。 2004年9月3日午後3時35分頃、岡山県津山市総社に住んでいた小学3年の筒塩侑子(つつしお ゆきこ)ちゃん(当時9歳)が、自宅で殺害されているのが発見された。発見したのは学校から帰宅した高校生の姉(当時15歳)だった。 侑子ちゃんはどんな子だったのか。 司法解剖の結果、侑子ちゃんは胸や腹などを幅の狭い凶器で数ヶ所刺されていた。死因は失血死か窒息死だった。衣服に乱れは全くなく、手に防御創もなく、首を絞めた跡や口や鼻を抑えた形跡もなかった。室内に物色した形跡もなかった。 抵抗の痕跡すらなかった。 何もかもがわからなかった。 何が起きたのか。 犯人の指紋や足跡、目撃情報もなく、犯行の動機も全てが不明だった。事件は長年未解決のままだった。 2008年3月19日、侑子ちゃんが通っていた津山市立北小学校で卒業式が行われた。亡くなった侑子ちゃんにも卒業証書が授与された。 同級生が卒業する日、侑子ちゃんは卒業証書を受け取った。 本人はもういなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 加害者はその14年間、何をしていたのか。 2000年、兵庫県明石市で女児6人に対し、腹部をげんこつで殴ったり、下腹部を触ったりするなどした暴行・強制わいせつの罪で有罪判決(執行猶予付き)を受けた。 2004年、津山で侑子ちゃんを殺害した。捜査の手は及ばなかった。 2009年、兵庫県姫路市・三木市・太子町で少女5人の腹部を殴るなどし、懲役4年の実刑判決を受けた。 2015年、姫路市で中学3年の女子生徒をナイフで刺し重傷を負わせた。 侑子ちゃんを殺害した後も 少女たちへの暴行を繰り返していた。 6人。5人。そして中学生。 加害者は「少女が苦しむ姿を見ることで性的に興奮する」という性癖を持っていた。 14年間、誰も気づかなかった。 その間に何人もの少女が被害に遭った。 🔴 逮捕と判決 2018年5月、別の殺人未遂事件で服役していた勝田州彦(当時39歳)が被疑者として逮捕された。事件発生から実に14年が経っていた。 2022年1月、岡山地裁は無期懲役の判決を言い渡した。勝田は裁判で無罪を主張し続けていたが、2023年9月、最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定した。 無罪を主張し続けた5年間。 2024年、フリーライター宛の手記で初めて自身が真犯人であることを認めた。 14年間、誰も捕まえられなかった。 その間に加害者は6人、5人、1人の少女を傷つけた。 逮捕後も5年間、無罪を主張した。 判決確定後にようやく罪を認めた。 侑子ちゃんが死んだ年、加害者を止められなかった。 その後に被害を受けた少女たちも救えなかった。 もし2004年に逮捕されていたら、 その後の被害者は生まれなかったのではないか。 あなたは、14年間捕まらなかった加害者がその間に何人もの少女を傷つけ続けたこの事件に、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

2,670,156 просмотров • 1 месяц назад

「かわいい子が一人暮らしをしている」 その一言が 20歳の女性の人生を 永遠に変えた。 3人の男が押し入った。 22時間 彼女は逃げられなかった。 2002年、福島県郡山市。 「福島県郡山監禁強姦事件」。 2002年9月2日午後6時30分、宅配便業者を装った男が20歳の女子大生の部屋のドアを開けさせ、3人の男が室内へ押し入った。翌日午後4時30分まで22時間にわたり監禁し、性的暴行を繰り返した。 彼女はどんな状況に置かれたのか 犯人たちは事前に謀議を重ね、計画的に犯行に及んだ。被害者をテープで縛りつけ、お互いを偽名で呼び合うなど、大人顔負けの犯罪計画だった。 犯行で奪った現金やカードで40万円以上を搾取し、その金を女性の抵抗を抑圧するための道具購入にあてた。 これは衝動犯罪ではなかった。 計画された組織的な犯行だった。 逮捕されたのは3人 成人の中島順司(当時34歳)と、15歳の服部英之、16歳の国分榮太郎。少年2人は少年法の規定に従い、まず家庭裁判所に送致された。 ここで問題が起きた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 少年法の壁 2001年4月、少年法が改正され、刑事罰を問える年齢が16歳以上から14歳以上に引き下げられた。しかし改正後も、15歳以下の少年が検察へ逆送され刑事罰を問われたケースは一度もなかった。 法律は変わった。 しかし運用は変わっていなかった。 22時間監禁した。 計画的に性的暴行を加えた。 それでも「少年」という理由で保護処分になる可能性があった。 被害者の言葉 「私はこの事件で一生消えない傷が心に残りました。なのに、犯人たちは何年かすると社会に出てくるかと思うと、悔しくてしかたがありません」 その訴えが 歴史を動かした。 🔴 判決 2002年12月4日、福島家裁郡山支部の鈴木桂子裁判官は「少年らは事前に謀議の上、計画的に本件非行を行っている。執ようで非道きわまりない」として、2人を検察へ逆送する決定を下した。「被害者の受けた心の傷が生涯いやされることのない深刻なものであることは誰の目にも明らかであり、少年に対しては厳しい処分を望んでいる」と言及した。 裁判所は服部英之に懲役3年6ヶ月以上6年以下の不定期刑、国分榮太郎に懲役4年以上7年以下の不定期刑を言い渡した。成人の中島順司には懲役11年。 改正少年法施行後、全国で初めて15歳以下の少年が刑事裁判で裁かれた歴史的事件となった。 そして3人は全員、すでに出所している。 最高でも懲役11年。2013年頃には全員が出所し、社会に戻った。当時15歳だった服部英之は20代半ばで出所。人生をやり直せる年齢だった。 22時間 被害者の人生は変わった。 数年後 加害者は社会に戻った。 被害者は言った。 「一生消えない傷が心に残りました」 加害者は やり直せる年齢で出所した。 この非対称を あなたはどう思うか。 少年法は「更生」のための法律だ。 しかしその「更生」の陰で 被害者は一生、消えない傷と生きていく。 15歳が計画的に22時間の性的暴行に加わった。 それでも「少年」だから守られるべきなのか。 あなたは、この判決と 被害者の「一生消えない傷」という言葉を どう受け止めますか。
0:21

Sensitive content

「かわいい子が一人暮らしをしている」 その一言が 20歳の女性の人生を 永遠に変えた。 3人の男が押し入った。 22時間 彼女は逃げられなかった。 2002年、福島県郡山市。 「福島県郡山監禁強姦事件」。 2002年9月2日午後6時30分、宅配便業者を装った男が20歳の女子大生の部屋のドアを開けさせ、3人の男が室内へ押し入った。翌日午後4時30分まで22時間にわたり監禁し、性的暴行を繰り返した。 彼女はどんな状況に置かれたのか 犯人たちは事前に謀議を重ね、計画的に犯行に及んだ。被害者をテープで縛りつけ、お互いを偽名で呼び合うなど、大人顔負けの犯罪計画だった。 犯行で奪った現金やカードで40万円以上を搾取し、その金を女性の抵抗を抑圧するための道具購入にあてた。 これは衝動犯罪ではなかった。 計画された組織的な犯行だった。 逮捕されたのは3人 成人の中島順司(当時34歳)と、15歳の服部英之、16歳の国分榮太郎。少年2人は少年法の規定に従い、まず家庭裁判所に送致された。 ここで問題が起きた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 少年法の壁 2001年4月、少年法が改正され、刑事罰を問える年齢が16歳以上から14歳以上に引き下げられた。しかし改正後も、15歳以下の少年が検察へ逆送され刑事罰を問われたケースは一度もなかった。 法律は変わった。 しかし運用は変わっていなかった。 22時間監禁した。 計画的に性的暴行を加えた。 それでも「少年」という理由で保護処分になる可能性があった。 被害者の言葉 「私はこの事件で一生消えない傷が心に残りました。なのに、犯人たちは何年かすると社会に出てくるかと思うと、悔しくてしかたがありません」 その訴えが 歴史を動かした。 🔴 判決 2002年12月4日、福島家裁郡山支部の鈴木桂子裁判官は「少年らは事前に謀議の上、計画的に本件非行を行っている。執ようで非道きわまりない」として、2人を検察へ逆送する決定を下した。「被害者の受けた心の傷が生涯いやされることのない深刻なものであることは誰の目にも明らかであり、少年に対しては厳しい処分を望んでいる」と言及した。 裁判所は服部英之に懲役3年6ヶ月以上6年以下の不定期刑、国分榮太郎に懲役4年以上7年以下の不定期刑を言い渡した。成人の中島順司には懲役11年。 改正少年法施行後、全国で初めて15歳以下の少年が刑事裁判で裁かれた歴史的事件となった。 そして3人は全員、すでに出所している。 最高でも懲役11年。2013年頃には全員が出所し、社会に戻った。当時15歳だった服部英之は20代半ばで出所。人生をやり直せる年齢だった。 22時間 被害者の人生は変わった。 数年後 加害者は社会に戻った。 被害者は言った。 「一生消えない傷が心に残りました」 加害者は やり直せる年齢で出所した。 この非対称を あなたはどう思うか。 少年法は「更生」のための法律だ。 しかしその「更生」の陰で 被害者は一生、消えない傷と生きていく。 15歳が計画的に22時間の性的暴行に加わった。 それでも「少年」だから守られるべきなのか。 あなたは、この判決と 被害者の「一生消えない傷」という言葉を どう受け止めますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

1,066,342 просмотров • 2 месяцев назад

ランドセルが空き地に落ちていた。 近くの段ボール箱の中に 7歳のあいりちゃんがいた。 下校途中、たった一人で歩いていた。 それだけだった。 検察は死刑を求刑した。 判決は無期懲役だった。 父親は言った。 「あいりは2度殺された」 2005年11月22日、広島市安芸区。 「広島小1女児殺害事件」。 2005年11月22日午後3時すぎ、広島市安芸区矢野西の空き地に置いてあった段ボール箱の中に、小学1年生の女の子が意識不明の状態でいるのを近所の人が見つけた。女の子は近くに住む木下あいりちゃん(当時7歳)と判明し、死亡が確認された。死因は首を絞められたことによる窒息死だった。 あいりちゃんはどんな子だったのか。 同級生の卒業式が開かれた2011年3月18日、学校側は「同級生と一緒に卒業させてあげたい」として卒業証書と同じ文書を作成。校長が「多くの友の中で共に過ごしたことを証します」と伝えて母親に手渡した。母親は「ありがとうございます」と答え、涙ぐんだ。 同級生が卒業する日、 あいりちゃんは卒業証書を受け取れなかった。 何が起きたのか。 事件から8日後の11月30日、遺留品や目撃情報などから近くのアパートに住む当時33歳のペルー人の男(ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ)を殺人と死体遺棄の容疑で逮捕した。 広島地検は殺人や強制わいせつ致死などの罪で起訴した。 下校途中、一人で歩いていた。 それだけが理由だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 加害者には前科があった。 差し戻し控訴審では、ペルーでの幼い女の子2人に対する性犯罪歴が証拠採用された。しかし広島高裁は「罪を犯したことが確実ではなく、日本国内での前歴や前科と同じように取り扱うことは許されない」として、量刑を考慮するための資料には用いないと述べた。 ペルーで幼い女の子2人への性犯罪歴があった。 それでも量刑の考慮から除外された。 裁判は複雑な経緯をたどった。裁判員裁判のモデルケースとされ、公判前整理手続が行われた。被告は法廷で意味不明の言動を繰り返し、公判が度々中断した。 法廷で意味不明の言動を繰り返した。 公判は何度も中断した。 🔴 判決 検察側は死刑を求刑したが、一審広島地裁は無期懲役を言い渡した。検察と弁護側の双方が控訴するなどし、2010年8月に無期懲役が確定した。裁判は4年余りにわたった。 父・建一さんは語った。「悪魔の存在を主張し続けたことは疑問で、納得いかなかった。性犯罪というのは非常に悪質な犯罪であるので刑罰は重いんだという認識が社会に広まればいい」 検察は死刑を求めた。 ペルーでの性犯罪歴は考慮されなかった。 判決は無期懲役だった。 父親は言った。 「あいりは2度殺された」 7歳のあいりちゃんは下校中に殺された。 段ボール箱に入れられた。 ペルーでの前科は考慮されなかった。 4年かけて無期懲役が確定した。 同級生が卒業する日、 母親は学校から卒業証書を受け取った。 「あいりは2度殺された」という父の言葉は 20年経った今も消えない。 あなたは、ペルーでの幼い女の子への性犯罪歴が量刑に考慮されず、死刑求刑に対して無期懲役となったこの判決を、どう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

4,962,752 просмотров • 1 месяц назад

熊谷警察署で取り調べ中、 被疑者は脱走した。 「タバコを吸いに行く」と言って そのまま戻らなかった。 3日間の逃走の末、 6人が殺された。 10歳の美咲さん。 7歳の春花さん。 その母・美和子さん。 夫は 3人を一度に失った。 裁判員裁判は死刑を選んだ。 高裁は無期懲役に覆した。 警察は逃走の事実を 住民に知らせなかった。 2015年9月、埼玉県熊谷市。 「熊谷6人殺害事件」。 2015年9月13日、熊谷警察署で任意同行され取り調べを受けていたペルー国籍のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン(当時30歳)が、喫煙を装って逃走した。3日間にわたる逃走の間に3軒の住宅に侵入し、男女6人を次々に殺害した。 被害者はどんな人たちだったのか。 加藤裕希さんは、妻・美和子さん(41歳)、長女・美咲さん(10歳、小学5年)、次女・春花さん(7歳、小学2年)の3人を一度に失った。事件発生約4ヶ月前に撮影された美咲さんと春花さんの写真が、今も加藤さんの手元に残されている。 加藤さんは語った。 「本心を言えば、もう死にたいという気持ちです。私は全部を失って生きる希望がありません」 家族3人を 一度に奪われた。 何が起きたのか。 9月14日夕方、ナカダは熊谷市内の住宅に押し入り、50代の夫婦を殺害した。15日から16日にかけて、80代の女性を殺害。その後、加藤さんの自宅に侵入し、妻と娘2人を殺害した。後の捜査で、長女・美咲さんに性的加害をしていたことも明らかになった。 ナカダは加藤さん宅で発見された際、2階から飛び降り頭部を強打。意識不明の重体となったが、9月24日に意識を回復し、10月8日に逮捕された。 3人を殺害したあとも その場にとどまっていた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 埼玉県警は何をしていたのか。 ナカダが逃走した翌日、9月14日に最初の夫婦が殺害された。県警は事件発生から約7時間後、ナカダを参考人として全国手配していた。つまり「男の犯行」とほぼ断定し、逃走の事実とさらなる事件発生の危険性を認識していた。 それでも県警は地域住民にこの事実を広報しなかった。 加藤さんが家族を殺された後になって、初めてナカダの逃走を知った。 危険性を認識していた。 それでも知らせなかった。 🔴 判決と二重の闘い 2018年、さいたま地裁の裁判員裁判は死刑判決を言い渡した。検察側は「金を奪う目的で6人を殺害した」「自己防衛的な行動を取っており違法性を認識していた」として完全責任能力を主張した。 しかし2019年、東京高裁は一審を破棄し、統合失調症による心神耗弱を理由に無期懲役とした。検察は上告を断念。弁護側のみが上告したが、2020年9月、最高裁は上告を棄却し、無期懲役が確定した。 6人を殺害したにもかかわらず、 心神耗弱が認定され、 判決は無期懲役となった。 加藤さんは被害者参加制度を利用し、法廷でナカダに直接問いかけた。判決確定後、加藤さんは語った。 「司法はもっと被害者に寄り添ってほしい。控訴審が無期懲役としたのは誤審だと思う」 刑事裁判で終わりではなかった。 加藤さんは「最初の事件の段階で住民に注意喚起していれば家族の被害は防げた」として、埼玉県を相手に国家賠償請求訴訟を起こした。 2022年、さいたま地裁は請求を棄却。2023年、東京高裁も控訴を退けた。 「県警の対応は不合理だとは言えない」 とされた。 刑事裁判で無期懲役になった。 民事訴訟でも県の責任は認められなかった。 加藤さんは2024年、最高裁に上告した。 「これが最後になる」 と語った。 危険人物が逃走していた。 県警はそれを知っていた。 住民には知らされなかった。 3人が殺された。 裁判では死刑が無期懲役に覆った。 県の責任も認められなかった。 加藤さんは家族の遺影を前に、 今も一人で生き続けている。 あなたは、危険性を認識していながら住民に知らせなかった県警の対応と、6人を殺害したにもかかわらず無期懲役となったこの判決に、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

3,907,750 просмотров • 1 месяц назад

【26年前の主婦殺害】一方的に大学訪れ「喫茶店で泣き出した」 | 26年前に起きた名古屋市の主婦殺害事件で、被害者の夫・悟さんは、一人息子に“まもなく容疑者が逮捕されること”を伝えていた 被害者の夫 高羽悟さん(69) 「緊急連絡です」 「本日夜、逮捕されます。DNAが一致しましたので間違いないです」 息子 「ん、がち?」 →このやり取りから約1時間後に容疑者を逮捕 ▼容疑者の女は悟さんと高校の同級生 被害者である妻の27回忌の法要で、悟さんが妹から言われて呼び起こされた記憶は… 被害者の夫・高羽悟さん 「『お兄さん、喫茶店で泣きつかれて迷惑したと怒って帰って来たじゃん』『あの女でしょう』と言われたので、そこで思い出した。すっかり忘れていて」 悟さんと容疑者が別の大学に進学してから… 被害者の夫・高羽悟さん 「私が毎日練習しているコートのところに女性が立っていてずっと立っているから。だんだんざわつくといったらおかしいが、他の部員が『あの女誰だ』『なんで立っているんだ』となって」 ある日練習終わりに話しかけてきたため、喫茶店に場所を移し、『さすがにここまでついてくるのは困る』と伝えると、容疑者の女はしくしく泣き出す ▼その後、悟さんは奈美子さんと結婚 容疑者と悟さんは1999年に高校の部活のOB会で再開 被害者の夫・高羽悟さん 「『バリバリ仕事しながら家事もやっている』と言っていた。明るくなったし、自分から『私一生懸命やっている』なんてアピールする子じゃなかったから明るくなって良かったという印象」 OB会から5カ月後、容疑者は用意していた刃物を持ち込んで被害者を襲ったとみられることが新たに判明 すでに処分したのか、容疑者の自宅の捜索で凶器とみられる刃物は見つかっていない

報道ステーション+サタステ

3,184,988 просмотров • 8 месяцев назад

16歳の息子を殺された。 しかし母親は 「犯人の名前」すら知らされなかった。 少年法が守ったのは 被害者ではなく 加害少年だった。 1996年、大阪市西淀川区。 「武孝和さん事件」。 武孝和さん。 当時16歳。 普通の高校生だった。 家族がいて、未来があった。 しかし1996年11月、他校の少年らによる暴行によって命を奪われた。 母・武るり子さんは語る。 「何が起きたのか知りたかった」 しかし当時の少年法では、加害少年の情報は厳しく守られていた。 何が起きたのか。 遺族は 審判を傍聴できない。 記録も読めない。 意見も言えない。 犯人の名前すら教えてもらえない。 息子が殺された。 それでも母親は 事件の中に入ることができなかった。 人が死んだ。 しかし遺族は 「外側」に置かれた。 武さんは問い続けた。 「なぜ遺族が締め出されるのか」 その後、武さんは「少年犯罪被害当事者の会」を立ち上げた。 少年事件で子どもを失った遺族たちと共に、25年以上声を上げ続けた。 毎年開かれる集会「WILL」。 亡くなった子どもたちを追悼する集まりは 「もうひとつのこどもの日」と呼ばれている。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 国は長い間 「加害少年の更生」を最優先してきた。 その一方で 被害者遺族は置き去りにされた。 犯人の名前も知らされない。 審判も見られない。 何が起きたのかも分からない。 「更生」のために 遺族は沈黙を強いられた。 26年前から 武さんは問い続けている。 「遺族は、なぜ何も知ることができないのか」 🔴 判決と制度改正 武るり子さんら遺族の活動によって、その後、日本の少年法は改正された。 被害者遺族による意見陳述や、記録閲覧など、一部の権利が認められるようになった。 さらに2025年には、刑務所や少年院が被害者や遺族の思いを加害者に伝える「心情等伝達制度」が始まった。 しかし、それは息子を失ってから約30年後だった。 16歳の少年は死んだ。 しかし母親は 犯人の名前すら知らされなかった。 少年の未来は守られる。 では、 殺された16歳の未来は、誰が守るのか。 あなたは、遺族が「犯人の名前すら知らされない制度」を正しいと思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

46,924 просмотров • 2 месяцев назад

【地中から遺体…“口封じ”で共犯者を殺害か】 | ▼今年2月に発生した未解決の殺人放火事件 広島・東広島市の住宅で、リフォーム会社経営・川本健一さんが首を複数回、刺されて死亡した事件 その約2カ月後、広島・三原市の土の中から、徳田雅希さんの遺体が見つかる →死因は窒息死で、生きたまま埋められた可能性 ▼“口封じ”のため殺害か…29歳男性を逮捕 徳田さんを殺害した疑いで29日、倉本幹太容疑者(29)が逮捕された 倉本容疑者は、徳田さんに対して700万円の債務があり、また、川本さんを殺害した事件では、徳田さんと“共犯関係”にあった可能性 広島県警 岡崎玲史刑事部長 「2月16日発生の川本健一さん被害の殺人事件等の共犯関係にある徳田雅希が警察の捜査線上に浮上したことを知るや、同人を殺害し口を封じることで、自身の事件への関与の発覚を免れようと考えた」 ▼倉本容疑者は徳田さん以外でも“金銭トラブル”か 倉本容疑者は勤務していた会社や、取引先の会社から少なくとも現金約400万円をだまし取った疑いで、すでに逮捕・起訴されている 川本さんの友人 「川本夫妻の家に放火・殺人に入ったことでの逮捕ではない」 「最終的にはそこをはっきりしてあげないと、私もですが、一番親族がいたたまれない。もう4カ月半ぐらい経ちますので」 倉本容疑者は、徳田さんに対する強盗殺人容疑を否認しているという

報道ステーション+サタステ

952,608 просмотров • 24 дней назад

2019年5月、大阪府堺市で、生後7か月の篠原咲舞ちゃんが突然亡くなった。 娘をお風呂に入れていた父・篠原遼さんは、自ら119番通報し、必死に救命を求めた。 しかし、待っていたのは「悲しみ」ではなく、「殺人犯」という疑いだった。 警察は「窒息死」と判断し、篠原さんを逮捕。 「父親が娘を窒息死させた」 その見立てのもと捜査は進められた。 篠原さんは一貫して否認した。 「私は娘を殺していない」 それでも起訴された。 何が問題だったのか。 事件当初、捜査は窒息死という可能性を前提に進められた。 一方で、死亡原因については他の可能性も十分に検討されるべきだった。 裁判が進む中、遺伝子検査が実施され、咲舞ちゃんには致死性不整脈につながる可能性のある遺伝子変異が確認された。 つまり、 突然の心停止によって亡くなった可能性を否定できなくなった。 しかし、この重要な可能性は、事件当初の捜査では十分に反映されていなかった。 人の命を失った事件では、 「一つの仮説だけ」で進む捜査は、取り返しのつかない結果を生むことがある。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 篠原さんは逮捕された。 家族は世間から疑いの目を向けられた。 仕事も生活も大きく変わった。 娘を失った父親が、 娘を殺した父親として扱われた。 もし無罪にならなければ、 その人生は戻ることはなかった。 🔴 判決 2022年12月2日、大阪地裁は篠原遼さんに無罪を言い渡した。 裁判所は、咲舞ちゃんが遺伝的要因による突然死だった可能性を否定できず、窒息死であると断定するには合理的な疑いが残ると判断した。 検察は控訴せず、 無罪判決は確定した。 娘は戻らない。 失われた時間も戻らない。 父親は無罪になった。 しかし、 逮捕され、 起訴され、 「娘を殺した父親」と見られ続けた日々は消えない。 一つの思い込みが、 一人の人生を壊しかけた。 もし遺伝子検査が行われなかったら。 もし裁判で別の可能性が十分に検討されなかったら。 この事件は、違う結末になっていたかもしれない。 あなたは、 娘を失った父親が、その直後に殺人犯として扱われ、3年後に無罪となったこの事件を見て、日本の捜査や刑事司法は十分に「思い込み」を防げていると思いますか。 👇あなたの意見を聞かせてください。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

5,568,885 просмотров • 16 дней назад

「ドンと音がした。見たら倒れていた。 すぐ救急車を呼んだ」 それが、母親の説明だった。 笑乃ちゃんが亡くなって4年後、 母親は逮捕された。 3年半、 勾留された。 自分の子どもにも、 触れられなかった。 検察は懲役8年を求刑した。 2026年3月3日、 福岡地裁は「故意の暴行を認定するには合理的な疑いが残る」として、 無罪を言い渡した。 2018年7月、福岡県川崎町。 「福岡・川崎町11か月女児死亡事件 ― 松本亜里沙冤罪事件」。 2018年7月28日、福岡県田川郡川崎町の自宅で、生後11か月の松本笑乃(えの)ちゃんが意識を失い、3日後に急性硬膜下血腫とびまん性脳腫脹により死亡した。後頭部には骨折があった。当時21歳だった母親の亜里沙さんと笑乃ちゃん、2人きりの時に起きた出来事だった。 笑乃ちゃんと亜里沙さんはどんな関係だったのか。 亜里沙さんは判決後の取材でこう語った。 「家族が待っていたのでほっとした。死ぬまで反省し続ける」 娘の死への後悔と悲しみを抱えたまま、無実を主張し続けた母親の言葉だった。 何が起きたのか。 亜里沙さんは事件当時、こう説明していた。 「ミルクをやろうと思って作っていた時に『ドン』と音がしたので見たら倒れていて、急に呼吸がおかしくなったので救急車を呼んだ」 弁護側が主張したのは、 持病のてんかん発作だった。 亜里沙さんはてんかんの持病があった。 発作が起きて笑乃ちゃんを抱っこしたまま転倒したか、あるいは笑乃ちゃんを落下させた事故の可能性がある。 それが弁護側の主張だった。 直接的な証拠は存在しなかった。 目撃者もいなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 笑乃ちゃんが亡くなったのは2018年7月。 亜里沙さんが傷害致死容疑で逮捕されたのは、4年後の2022年2月だった。 逮捕後、亜里沙さんは3年半にわたり勾留された。 家族の証人尋問まで面会も制限され、自分の子どもにも触れることができなかった。 3年半、 子どもに触れられなかった。 長期勾留の実態は、「人質司法」との批判も呼んだ。 本事件はAHT(虐待による乳幼児頭部外傷)が疑われる事件として起訴された。 しかし全国ではAHT事件をめぐって無罪判決が相次ぎ、医学的見解が分かれていることが問題となっていた。 AHTの診断は「シェイクン・ベイビー症候群」とも呼ばれ、かつては確立した医学理論とされていたが、近年は転落や発作など他の原因でも同様の症状が生じうるという知見が広まっている。 医学的知見は現在も議論が続いていた。 それでも検察はAHTを前提として起訴した。 弁護人はこう語った。 「捜査機関が慎重に医学的見解を吟味していれば、逮捕、起訴すべき案件ではなかった」 🔴 無罪判決と確定 2026年3月3日、福岡地裁の鈴嶋晋一裁判長は無罪判決を言い渡した。 判決では「皮膚変色は床ずれの可能性がある」とし、「骨折などのけがは後頭部を一度、それほど強くない力で打っても生じ得る」として検察側の主張を退けた。 「故意の暴行を認定するには合理的な疑いが残る」 それが裁判所の結論だった。 求刑は懲役8年だった。 2026年3月18日、 検察は控訴を断念。 無罪が確定した。 弁護団はコメントを発表した。 「個人や家族の人生が奪われた。この現実は決して看過されてはなりません」 4年後に逮捕された。 3年半、 子どもに触れられなかった。 懲役8年を求刑された。 無罪になった。 でも3年半は戻らない。 娘を亡くした悲しみを抱えたまま、 8年間、 「加害者」として裁かれ続けた。 AHTをめぐる医学的見解が分かれる中、検察は旧来の理論を前提に起訴した。 娘を失った母親は、 事件後8年間、 被告人として生きることになった。 あなたは、医学的見解が分かれる中でAHTを前提に起訴され、3年半勾留され、自分の子どもにも触れられなかった亜里沙さんの8年間に、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

3,495,152 просмотров • 9 дней назад

一審は無罪とした。 「証拠がない」と言った。 検察は控訴した。 二審は逆転有罪にした。 暴力団員の「証言」だけで、懲役7年が確定した。 前川彰司さんは服役した。 出所してからも、無実を主張し続けた。 逮捕から39年。 2025年7月18日、ようやく無罪が確定した。 1986年3月19日、福井県福井市。 「福井女子中学生殺人事件・前川彰司冤罪事件」。 1986年3月19日夜、福井市の市営住宅で中学3年の女子生徒(当時15歳)が自宅で殺害された。顔や首など50数か所を刺され、電気コードで首を絞められていた。残忍な犯行で地域に衝撃が走った。 福井県警は捜査に難航した。 事件から1年後の1987年3月。 薬物事件で逮捕・勾留中の暴力団組員の「証言」をもとに、前川彰司さん(当時21歳)が殺人容疑で逮捕された。 前川さんはどんな人だったのか。 逮捕以来一貫して「私は殺していない」と無実を主張し続けた。長時間にわたる取調べと自白強要にも屈しなかった。逮捕から39年、闘い続けた。 何が問題だったのか。 前川さんを犯人とする物的証拠は、一切なかった。 唯一の有罪根拠は、複数の「関係者の証言」だった。暴力団組員が「前川が血のついた服を着て戻ってきた」と証言した。別の者が「前川から犯行を告白された」と証言した。 しかし、その暴力団組員は勾留中に、自分の刑事事件を有利にするために証言を取引材料にしていた。証言は何度も変遷した。血のついた服は、最後まで発見されなかった。 さらに、警察は証言者に「利益」を与えていた。勾留中なのに寿司の差し入れを認め、移監の要望を聞いた。重要証人には、私的交際関係がないにもかかわらず結婚祝いの金銭を渡していた。 証人と証人を直接面会させ、供述を「汚染」した。 1990年9月、一審・福井地裁は「証言の信用性がない」として無罪判決を言い渡した。 しかし検察は控訴した。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 1995年2月、名古屋高裁金沢支部は「証言が大筋で一致する」として逆転有罪、懲役7年を言い渡した。1997年、最高裁は審理もせず上告を棄却。一審が「信用できない」と断じた証言が、なぜか上級審で「一致する」とされた。 一審は「信用できない」と言った。 高裁は「大筋で一致する」と言った。 前川さんは服役し、満期出所後の2004年に再審請求を申し立てた。 2011年、高裁支部が再審開始を決定。 しかし検察が異議申立て。 2013年、名古屋高裁が再審開始を取り消した。 ようやく開いたドアを、検察が閉めた。 前川さんは2022年、第2次再審請求を申し立てた。今度は裁判所の積極的な訴訟指揮により、検察から新たに287点の証拠が開示された。 隠されていた証拠が、287点、出てきた。 🔴 再審無罪確定 2024年10月23日、名古屋高裁金沢支部が再審開始を決定。検察は異議申立てを断念。2025年3月6日、第1回再審公判。2025年7月18日、再審無罪判決。検察は上告せず、同年8月1日に無罪が最終確定した。 判決は、警察が証人に不当な利益を与えて「供述を汚染した可能性が否定できない」と認定。検察が不利益な事実を隠して訴訟活動を行ったことについて「公益を代表する検察官としてあるまじき不誠実で罪深い不正」と断罪した。 物的証拠は一切なかった。 暴力団員の「証言」だけで懲役7年になった。 警察は証人に利益を与え供述を誘導した。 検察は不利益な証拠を隠し続けた。 一審の無罪は、検察の控訴で覆された。 再審開始を、検察の異議で一度は取り消した。 287点の証拠が、隠されていた。 逮捕から39年後。 ようやく「無罪」の2文字が届いた。 しかし、真犯人は今も特定されていない。 時効は、すでに成立している。 あなたは、物的証拠ゼロで39年間闘い続けた前川さんと、証拠を隠し再審を妨害し続けた検察・警察の行為を、どう思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

4,310,044 просмотров • 17 дней назад