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史上最高のタップ・ダンサーと評する人も多い”天才兄弟”による超パフォーマンス。この場面は代表作であり、真偽はさておき、リハーサルなしの一発撮りという伝説がある。

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~ラケットの”響き”があなたを強くします~ 皆さまこんばんは。 本日はこちらのタイトルについてご紹介いたします。 今回お伝えしたいのは、打球時の”響き”について。 選手が用具に求めるものとしましては、 「もっと入るようになるものはないか。」 「もっと威力のあるボールが打てるものはないか。」 「もっと勝てるようになるものはないか。」 などといったものが挙げられるかと思います。 卓球は、スポンジの厚さ制限、サービスのハイド禁止、ボールサイズの変更、揮発性有機溶剤の廃止など、ルール変更によりあまりにも脅威になるものが禁止されています。 その影響もあって、プレーヤーのみなさんからルールの範囲内において威力を向上させるものが要望として挙げられるようになってきました。 そのうち最も変化しているのはラバーの性能であります。 プレーヤーの要望に応える形で卓球メーカーは最先端の技術とノウハウを活かし、ルールの範囲内において多くの高性能のラバーを創り上げてきました。 その性能は時代とともに目まぐるしく変化していき、現在では補助剤が無くても充分な弾みと、とても優れた回転性能を持たせることに成功しています。 続いては、”ラケットの性能”についてです。 ラケットもまた、高速卓球を可能とする要因の一つとして、硬質な特殊素材を用いたり、特殊な接着方法を用いることにより、軽量かつ、よく弾むものが続々と発売されています。 しかしここで疑問点が浮かび上がります。 一度振り返ってみてください。 実はしばらくの間、変わっていないものがあります。 それは、「卓球台の面積」です。 卓球台は打ったボールを収める場所です。 その面積は大きくも小さくもなっていません。 回転力とスピードを限界まで高めたその用具達の性能を発揮することが出来るのは、その台に収まる範囲のみです。 卓球台から近ければ抑えめに、遠ければ強めに打ちだす必要があります。 そして、その台に収めるように調節するのは他でもない自分自身となります。用具そのものはAIのように自分で考え、調節してくれるものではありません。 つまり、強弱含めて自分が最も調節しやすいものを選ぶことが”勝てる”選手になるために必要なことであると言えるでしょう。 そしてその調節をする際に重要なのは、打球時に生じる手への”響き”にあります。 なるべく手に伝わる”響き”が自然で敏感であるほど、力加減が調節しやすく、対戦相手から放たれた打球の威力の強弱も感じ取ることが出来る範囲が拡がります。 それによって自身もまた確かな1球を感じることが出来ることで、メンタリティの安定感にも影響することでしょう。 そしてその”響き”を左右するのが、手で直接持つものである、ラケットの選択になるということになります。 いかがでしょうか。 ラバーの性能が向上している今、重要視されるのは力加減の調整をしやすくするための手に伝わる”響き”であるといえます。 今一度”響き”の良いラケットを選択してみると良いかと思います。ぜひ試してみてくださいませ。 (ポストよりnoteの分量になっている気が。。。ちなみに弾みも最大限確保しようとすると、個人的には張継科ニューエラがかなり優れていると思います。)

とある卓球オタクのメモ帳

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#時間の面影 東京巡回展、終幕しました。おかげさまで約4000名を超えるお客様にお越しいただきました。ほんとうにありがとうございます。またどこかでお会いしましょう。 - 時間は空間になり、 空間は時間になる。 時間は存在しない。 - 時 間 の 面 影 resemblance of time - はじめに、以下の媒体あるいは概念について、本展の着想の元になった考察を述べてみます。 写真 見る人に「時間」が委ねられる。時間は伸び縮みする。 動画 作る人が「時間」を意図している。時間は制御される。 時間 ある流れの何かと何かの「間(あわい)」にあるもの。そのすべての移ろい。 空間 ある場所の「空(くう)」にあるもの。そのあらゆる広がり。 - この考察は、あらゆるものごとは常に変化しながらその都度失われる、という道理を撮影という行為を通し実感することで導かれたものです。 例えば、一瞬の出来事を永遠のように感じたり、永い記憶を一瞬のように感じられることはありませんか。そして、何もないところにこそ確かな存在を見出すことも。あるようでないは、ないようで、ある。 では、時間は存在しない、とするならば? 本展はそのような思考についての実験であり、時間と空間の感覚への問いを考えていく試みでもあります。 濱田英明

濱田英明

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12.26(金)〜公開 NTLive『インター・エイリア』 世界的ヒット『プライマ・フェイシィ』の制作チームが贈る衝撃の新作舞台 スージー・ミラーの作品は観る前には考えたことがなかったことへ、自分の意識を向けてくれる、そんな舞台です。新しい意識の広がりへーー ぜひ映画館へ👀 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: <作者スージー・ミラーより> ラテン語の inter alia は「その他のことの中で」という意味で、法律の世界で使われる用語です。しかし、ここでは働く女性たちが日々の暮らしをどのようにやり繰りしているかを象徴しています。 女性たちは仕事においても並外れて努力していますが、それは「その他のこと」との両立のうえに成り立っています。その「その他」とは、家族の生活を調整すること、心の負担を引き受けること、家事をこなすこと、急な出来事に備えることなどです。ある女性はこう話してくれました――「私は自分の人生を、他の人たちの人生の“隙間”で生きているんです」と。彼女は仕事をしながら、学校に着ていく服やお弁当、食事の準備、送り迎え、さらに家に来る業者への対応まで背負っているのです。 母親であること、妻であること、職業人であること、そして社会の中の一人の女性であること――その間にある目に見えない境界線を、女性たちは常に行き来しなければなりません。その重なりや相反する期待は、最善を尽くしても困難であり、しばしば圧倒されるものです。さらに女性にはもう一つの層が加わります。それは、「すべてをやり遂げようとする女性」への社会的な評価のまなざしです。 作中のジェシカは“判事”であると同時に、“評価される側”でもあります。母親として、選択の仕方として、働く時間として、女性らしさとして、フェミニズムとして、パートナーとして――あらゆる点で彼女は判断されるのです。そして、多くの女性がそうであるように、ジェシカ自身もまた自分を“裁いて”いるのです。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

ナショナル・シアター・ライブ

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仲間に対して暴力的になる闇クラウドが描かれる古代種の神殿。しかし、エアリスに対しては抵抗の意思がいくつも見られる。完全におかしくなっているはずなのに… ①決して暴力を振るわない ②建物の崩壊の時に、なぜか彼女の後ろを離れず守ろうとする ③黒マテリアを手に入れたい一心のはずの場面で、なぜか「お願いだ」「一緒に星を守ろう」「信じてくれ」など優しげな言葉が出てくる。 ④エアリスを見ているうちに自力で正気を取り戻す ⑤「なにがあっても一緒だよ」の彼女の言葉に返すように一緒に死ぬ覚悟で手を繋ぎ、抱きしめ離れない。「オレたちは…死んだのか?」 ⑥落ちた先では、クラウドが下になっておりエアリスが地面にたたきつけられるのを回避するように守っていた このシーンからわかること。それは、クラウドにはクラウドの意思があり、セフィロスからの支配から逃れようと頭の中で戦っているということ。それを手助けする要因にエアリスがあるということ。 エアリスがいることでセフィロスはクラウドを完全にはコントロールしきれないということである。 エアリスがいることでクラウドが正気を取り戻せるというのは、他のシーンでも出てくる。例:セフィロスの幻が見えているとき、エアリスがクラウドの手を握ると落ち着きを取り戻すなど。「あなたに触れると全ては癒され」Hollowとも繋がる。 セフィロスにとってエアリスはそういった意味でも邪魔な存在であり、これは長年セフィロスの課題となっているように見える。 公式小説でもエアリスは死後もクラウドを心配し、ライフストリーム内からセフィロスに対抗しようとする場面がある。 今回は「なにがあっても一緒だよ」「オレたちは…死んだのか?」というセリフが二人から出てきたので、死すらこの二人を引き離すことはできない。クラウドの精神に対してエアリスが作用しなくなることはない。それに今作のリバース・セフィロスは気づいている。 また、原作との違いにも着目。原作の古代種の神殿では同様の場面で、クラウドはエアリスの上にまたがり地面に手を打ち付ける動作をする。 「クラウドはエアリスをぼこぼこに殴ってるように見える」との見解が主にネット上で広まっていった。 しかし、当時は技術面で表現が足りていなかっただけで「エアリスを絶対に傷つけたくない」という意思がクラウドに強くあった、というのが本来公式が見せたかったものなのでは。 また、エアリスには元々「なにがあってもクラウドを決して責めたりしない」という表現があり、原作では「あなたのせいじゃない」というセリフだったがリバースでは「なにがあっても一緒だよ」という「私も共犯になる」という意味が含まれるような、さらに強烈なセリフが与えられた。 キャラクターの心情を掘り下げ、原作より分かりやすく演出した形なのではと感じている。#FF7R #FF7リバース

もぐり

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思う所があり、長文です。 フジロックから帰ってきてから、ハイスタとAIRJAM世代への批判を目にしてるけど、あのMCだけ切り取って、ヤンキー崩れみたいな批判をすることはあまり有効ではないと思う。 というのは、実際の現場と今の言説にかなり乖離を感じるから。 実際、ハイスタの前にやってたTurnstileはボルチモア出身で、メンバーにアジア系、黒人、女性がいるように、白人男性中心のハードコアを広い世代と層に切り拓いたバンド。 彼らで一番盛り上がって、ユナイトする景色を作ってたのは、あの世代の人たち。そこには台湾の人や韓国の人もいた。Kneecapのマスク被って、サークルモッシュしてたアイリッシュの兄ちゃんもいた。 難波さんのMCは、まあ確かにもうちょい練ってから話してくれやと思わなくはないけど、難波さんは大体若い時からあのノリである。個人的に言いたいことは、40歳以上が政治に言及するとき、「俺分かんねえけど」は入れなくていいと思う。俺はこう思うでやるべし。だからこそ、言葉に責任持つ上で、どの仕事の人も勉強はやった方がいいと思った。それはマジで(もちろん自分もです) 俺はAIRJAM世代じゃないけど、東北ライブハウス作戦を主導したあの人たちは、何よりイデオロギーより現場主義で動くひとたちだと思うし、その男気みたいなものが保守的に映ることはあるかもしれないが、簡単な二分法では切れないというのが、正直なところ。 実際、今回のフジロックにも東北ライブハウス作戦のブースとかも出てるのよ。でも、そういう地道な話よりもデカい話の方がネットで拡散するじゃん。 何より、アジカンとTurnstileとハイスタのみんなで写真撮ったりもしてるし、自分の内なる何かへの嫌悪を、彼らへの批判と地続きでやっても意味ないと思う。誰も得しないし、得するのはそれこそ現首相と内閣でしょう。 彼らが嫌ってるのは、何より音楽と人文ですよ。 民衆が知識を得る入り口だからね。 音楽と人文は、もっと密接になるべきだし、パンクやヒップホップのような音楽は否が応でもそこと向き合う訳だが、同時にヤンキー的な現場主義も介在すべきと思う。 この二つが、分断してちゃダメだよ。で、音楽と人文はそれを繋げる力がある訳だから、そこの可能性を信じましょう。 というかフジロックってそういう場でしょう。

蒼井スミス aoi smiths|中尺思考

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間違えないで欲しい:新しい技術に触れて、辞めたくなる人がいれば、はじめたくなる人もいる。踊る気持ちと踊りたくなる気持ちは違う。死にたい気持ちはつまり、踊る気持ちを持てるということでもある。人間が持つ、デフォルトの情けなさ。あなたはちゃんともっている。 横殴りの誹謗に触れて、腹が立つ人がいれば、悲しくなる人もいる。死にたい気持ちと心が死ぬことは違う。 心が死んだあと。踊りたくなる気持ちを持っているあなたへ、まだ生きているではないか。希望があるではないか。真面目だねと言われても、ああ真面目だよ。潰しなんて利かないよ。だからなんなんだと。言い返してやればいいのさ。 心を殺してまわる加害者など、無視すればいいのさ。ブロックすればいいのさ。ミュートすればいいのさ。ノイズキャンセリングすればいいのさ。キャンセリングした分、何かおいしいものをでも食べればいいのさ。 あなたがただ生きていることの方が、ちゃんと傷ついていることの方が、価値があるのさ。やがて、強さになるから。 だから、生きていて欲しい。死なないで欲しい。生きることと、死ぬことを。生かすことと殺すことを。どうか、どうか。このとおり。間違えないで欲しい。

川田十夢

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いまのチャットボットは、知能というより「能力の寄せ集め」に見える瞬間がある。オンラインで学べない、独創を持てない、簡単なことでも聞き方次第で落ちる。つまり、人間の知能が持つ「連続性」が欠けている。次のブレークスルーは、この不連続を連続へ変える技術になる。 デミス・ハサビス「スケーリング則は非常にうまく機能していると思います。計算資源を増やし、データを増やし、モデルを全体的に大きくすることで、能力が向上しているのは確かです。その傾向は続いていますが、数年前ほどの速さではない、という面はあります。 そのため、収穫逓減の議論もあります。ただ、『まったくリターンがない』状態と『指数関数的に伸びる』状態の間には大きな違いがあり、私の見立てでは、いまはその中間あたりにいて、十分に良いリターンが得られているので、取り組む価値があります。 AGI(汎用人工知能)に到達するという観点では、既存のアイデアをスケールさせるだけでなく、まだ欠けている、あるいは必要になる大きなイノベーションが1つか2つあるのかもしれません。 いろいろなチャットボットを皆さんも触ってきたと思いますが、ある側面では非常に印象的なことができます。一方で、私がよく『ギザギザの知能』と呼ぶように、特定のことにはとても強いのに、別のことはまったくできない、という状態でもあります。 また、質問の仕方によっては欠陥が見えて、比較的単純なことすらできない場合があります。本当の汎用知能であれば、そうした不整合は見られず、全体として一貫しているはずです。さらに、継続的に学習できない、オンラインで新しいことを学べない、本当に独創的なものを作り出せない、といった点もあります。つまり、汎用知能に必要で、私たちが見たい能力のうち、いまのシステムには欠けているものがかなりあるのです」

Tsubame

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チェスAIの進歩はこうだった——最初は「人間+AI」が勝つ。次に、AIが十分に賢くなると、人間が混ざるほど弱くなる。最終的に、意思決定の最適解が「人間抜き」へ収束する。だから、現実の仕事で最後の状態になることを「超知能」の定義としよう。そのとき、社会の意思決定は不可逆に再配置される。 サム・アルトマン「AGIについては、私たちは定義をしなかったせいで外してしまいましたよね。いま皆が注目している新しい言葉は、超知能に到達するタイミングです。だから私の提案はこうです。AGIはある意味で通り過ぎていったことにして、世界をそこまで変えなかった、あるいは長期的には変えるのだろうけれど、とにかく『いつかはAGIを作った』ということにする。いまは曖昧な時期で、すでに達したと思う人もいれば、まだだと思う人もいて、これから達したと思う人が増えていく。そして『次は何だ?』となる。 そのうえで、超知能の候補となる定義はこうです。あるシステムが、AIの支援を受けた人間よりもなお上回って、米国大統領、巨大企業のCEO、あるいは非常に大規模な科学研究所の運営を、人間の誰よりもうまくこなせるようになったとき。以上です。 チェスで起きたことも興味深い例だと思います。チェスではAIが人間に勝てるようになりました。Deep Blueの件は私もはっきり覚えています。その後しばらくは、人間とAIが組むほうがAI単体より強かった時期がありました。でも最終的には、人間が介入することでむしろ悪くなってしまい、人間がその卓越した知性を理解できないまま口を出さない『人間抜きのAI』が最善、という状態になった。 超知能を考える枠組みとして、これは面白いと思います。まだずっと先の話だとは思いますが、今回はもっとすっきりした定義を持てたらいいですね」

Tsubame

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