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#懐かしの助っ人 ケビン・ミッチェル ダイエー(1995※途中退団) '95 37試合 .300 8本塁打 28打点 ※ジャイアンツ時代の89年に47本塁打、125打点でナ・リーグ二冠王とMVP、来日前年の94年はストライキにより8月で シーズン打ち切りとなったが、レッズの主軸として3割30本をマークするなど実力、実績は申し分なく、同時に素行不良のトラブルメーカーとしても知られるメジャーの大物。95年に推定年俸4億5千万円の1年契約でダイエー入団。開幕戦で来日初打席満塁弾の衝撃デビューを飾るが、以降は古傷の右膝痛や微熱を理由に試合欠場を繰り返し、5月と8月にシーズン中二度の無断帰国とトラブルメーカーぶりを発揮。球団も二度目の帰国時には見切りをつけ、そのまま解雇。帰国後はメジャーに復帰。レッドソックスや古巣のレッズなどで98年までプレーしたが目立った活躍もなく、さらにはダイエー側に年俸の全額支払いを要求し裁判沙汰に。

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#懐かしの助っ人 ルイス・ロペス 広島(1996〜97)、ダイエー(1998)、広島(2000※途中入団〜02) '96(広) 130試合 .312 25本塁打 109打点 '97 (〃) 134試合 .320 30本塁打 112打点 '98(ダ) 134試合 .294 17本塁打 68打点 '00(広) 93試合 .313 20本塁打 88打点 '01 (〃) 138試合 .308 32本塁打 100打点 '02(〃) 80試合 .245 5本塁打 33打点 来日1年目の96年から中軸打者として活躍し、2年連続で打点王に輝きベストナインに選出。97年はリーグ最多安打(170)のタイトルも獲得したが、オフに契約がこじれて退団。ダイエーに移籍した98年は長期離脱した小久保(脱税で開幕から8週間出場停止処分、復帰直後に右肩故障)の代役として3割近い打率を残したが、本塁打・打点が中軸としては物足りない点や小久保の右肩手術からの回復、台頭してきた松中を来季は一塁で起用する構想などから1年で解雇。翌99年はアメリカ独立リーグでプレーし、2000年シーズン途中の5月に広島復帰。同年は93試合で88打点をマーク、翌2001年は3割30本100打点と2年続けて好成績を収めた。「三冠王」を目標に掲げて挑んだ2002年は開幕早々に同僚・前田の走塁を巡ってトラブルを起こし10日間の謹慎処分。その後はモチベーションの低下で成績も低迷し、同年限りで退団した。2006年から楽天の駐米スカウトに就任し、2010年はブラウン監督の誘いで楽天二軍打撃コーチを務めた。2012年からは横浜DeNAの国際担当スカウトを務め、ソト、ピープルズらの獲得に携わった。

海賊大名XYZ

43,889 views • 1 month ago

#懐かしの左打者 広永益隆 徳島商〜南海・ダイエー(85年ドラフト3位〜94年途中)〜ヤクルト(94年途中〜97年途中)〜オリックス(97年途中〜99年) '89(ダ) 35試合 .298 4本塁打 15打点 '90(〃) 80試合 .313 8本塁打 23打点 '91(〃) 91試合 .232 8本塁打 25打点 '92(〃) 81試合 .176 6本塁打 18打点 '93(〃) 19試合 .174 0本塁打 3打点 '94(ヤ) 44試合 .238 1本塁打 2打点 '95(〃) 39試合 .191 2本塁打 9打点 '96(〃) 20試合 .379 2本塁打 10打点 '97(〃) 5試合 .200 0本塁打 1打点 (オ) 8試合 .222 1本塁打 1打点 '98(〃) 41試合 .220 2本塁打 9打点 ※通算成績 463試合 183安打 .247 34本塁打 116打点 パンチ力ある打撃で主に代打の切り札として活躍。ダイエー初年度の89年開幕戦に代打でプロ入り初出場し、開幕戦では初となるプロ初打席初本塁打(同時にダイエー球団第1号、パ・リーグ平成第1号)を放ち、翌90年にプロ野球通算6万号、92年にパ・リーグ3万号、平和台球場公式戦最終本塁打と、ダイエー時代は記念のホームランを数多く放ち「メモリアル男」と呼ばれた。後に移籍したヤクルトでも巨人戦での代打サヨナラ弾、オリックスではロッテが当時の連敗記録を更新した一戦で、史上初の代打の代打でサヨナラ満塁弾(同時に史上2人目の両リーグで代打サヨナラ本塁打)と、それぞれ印象に残る一発を放った。通算34本塁打中、約半数の14本が代打本塁打(歴代7位タイ)。

海賊大名XYZ

60,259 views • 1 month ago

#懐かしの左打者 立花義家 柳川商〜クラウン・西武(76年ドラフト1位〜91年)〜阪神(92年) 通算成績 実働14年 1149試合 801安打 .262 51本塁打 318打点 33盗塁 福岡・柳川商(現・柳川高)からドラ1で地元球団のクラウンに入団。1年目の春季キャンプでは東映時代に張本勲を育てた松木謙治郎臨時打撃コーチから素質を見込まれ「張本二世」と評された。2年目の78年開幕戦に三番・ライトでスタメン起用され一軍デビュー。「19歳の三番打者」として注目されるが、5月以降は二番に定着し規定打席にも到達。所沢移転後の西武でもレギュラーで活躍し、西武球場のこけら落としとなった79年4月14日の日本ハム戦ではプロ初本塁打を西武球場第1号本塁打で飾り、翌80年は全130試合出場でキャリアハイとなる.301 18本塁打 60打点の好成績。西武第1次黄金期の82、83年リーグ2連覇・日本一にも貢献するが、85年以降は中日から田尾の加入や金森の台頭などで控えに回り、主に代打で80年代後半以降の第2次黄金期を支えた。阪神に移籍した92年はシーズン終盤まで優勝を争い、2位と大躍進を見せたチームで左の代打の切り札として活躍したが、同年限りで退団。翌93年に台湾・俊国で1年プレーし現役引退後は会社員を経て、ダイエー・ソフトバンク、オリックス、西武、ロッテ、楽天、韓国・サムスンで打撃コーチを務め、現在は西武一軍打撃コーチ。

海賊大名XYZ

36,531 views • 8 days ago

#懐かしの左打者 白幡隆宗 ※81年から87年6月までの登録名は本名の白幡勝弘 二松學舍大附属〜西武(80年ドラフト外)〜巨人(89〜90年)〜横浜大洋(91〜92年) '85(西) 12試合 .286 2本塁打 2打点 '86(西) 15試合 .167 1本塁打 3打点 '87(西) 50試合 .294 2本塁打 9打点 '88(西) 12試合 .053 0本塁打 1打点 '89(巨) 20試合 .245 0本塁打 3打点 '90(巨) 7試合 .286 0本塁打 2打点 '91 (洋) 64試合 .265 3本塁打 23打点 '92(洋) 19試合 .235 0本塁打 1打点 西武時代は左のスラッガーとして期待されながら伸び悩み、一軍定着はならず。88年オフに岡本光とのトレードで巨人移籍。89年シーズン序盤に一番打者に抜擢され、一時的な活躍はあったものの、その後は不振に陥り二軍降格。僅か7試合の出場に終わった90年オフにトレード志願するもまとまらず、年明けの91年1月に自由契約となるが、直後に巨人時代の二軍監督だった須藤監督に拾われる形で大洋に移籍。同年は開幕一軍入りし、シーズン前半は五番打者として活躍。巨人戦に滅法強く打率.412でこの年の3本塁打は全て巨人戦で放つ。翌92年は出場機会が減少し、シーズン終了後に戦力外通告を受け現役引退。 大食漢な事から現役時代のあだ名は「メシ」。 西武で同僚だった大久保博元が2020年に自身のYouTubeチャンネルで白幡について触れており、既に亡くなられているとの事。

海賊大名XYZ

52,906 views • 3 months ago

「もう一度サポートを受けたいです」 電話越しでもわかるほど、去年の暮れに連絡をくれた彼はかなり憔悴していた。その声を聞いて、正直、胸が痛んだ。 22年春の大学4年次から1年目の23年まで彼をサポートし、その後ボタンの掛け違いから疎遠になっていた。それでも、彼のことはずっと気になっていた。サポートする機会がないまま、24年、25年と成績が下降していくのを、ただ見ていることしかできなかった。 そして今年のキャンプ中から、サポートを再開した。まずは基礎から見直し、確率の良い見方ができているか、一つひとつ課題を確認していった。実戦に入ってからは、右ピッチャーへのアプローチのズレをどう無くすか、真っ直ぐをどう分厚く捉えるか。直接ボールを打ちながら、その感覚をひとつずつ、時間をかけて取り戻していった。 4月頭のバッティングのセッション開始前、ファームでの対右ピッチャー打率は0.000。真っ直ぐを打っても、前に飛ばなかった。それが少しずつ前に飛ぶようになり、強く弾き返せるようになり、長打も増え、気づけば打率は3割を超えていた。そして、満を持しての7月一軍昇格。 何度かヒーローになるチャンスはあったけど、なかなかお立ち台には立てず、途中交代もある中で巡ってきたチャンスで2試合連続猛打賞。しかもサポート前には全く打てなかった右ピッチャーから。そしてヒーローインタビュー。 あの憔悴した声を知っているからこそ、今日の姿には何度見ても言葉にならないものがある。 本当に、ここまでよく戻って来れたね。蛭間くん、本当におめでとう。今日という日が、これから先も彼を支える一つのターニングポイントになりますように。これからも、ずっと応援しています。

シンゴ(野口信吾)⚾️眼👀を鍛えて選球眼向上/グッドアイスポーツビジョンセンター代表

170,906 views • 2 months ago