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#懐かしの助っ人 デイモン・マイナー 楽天(2005※シーズン途中退団) '05 6試合 .200 0本塁打 2打点 球団創設初年度の助っ人野手。左の大砲として期待されるがドライアイの治療のため開幕前に一旦帰国。開幕後に再来日しデビュー戦初打席で2点タイムリーを放つもその後は快音が聞かれず、新たに獲得したトレーシーに取って代わられ二軍落ち。僅か6試合出場に終わりシーズン途中で解雇された。

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#懐かしの左打者 白幡隆宗 ※81年から87年6月までの登録名は本名の白幡勝弘 二松學舍大附属〜西武(80年ドラフト外)〜巨人(89〜90年)〜横浜大洋(91〜92年) '85(西) 12試合 .286 2本塁打 2打点 '86(西) 15試合 .167 1本塁打 3打点 '87(西) 50試合 .294 2本塁打 9打点 '88(西) 12試合 .053 0本塁打 1打点 '89(巨) 20試合 .245 0本塁打 3打点 '90(巨) 7試合 .286 0本塁打 2打点 '91 (洋) 64試合 .265 3本塁打 23打点 '92(洋) 19試合 .235 0本塁打 1打点 西武時代は左のスラッガーとして期待されながら伸び悩み、一軍定着はならず。88年オフに岡本光とのトレードで巨人移籍。89年シーズン序盤に一番打者に抜擢され、一時的な活躍はあったものの、その後は不振に陥り二軍降格。僅か7試合の出場に終わった90年オフにトレード志願するもまとまらず、年明けの91年1月に自由契約となるが、直後に巨人時代の二軍監督だった須藤監督に拾われる形で大洋に移籍。同年は開幕一軍入りし、シーズン前半は五番打者として活躍。巨人戦に滅法強く打率.412でこの年の3本塁打は全て巨人戦で放つ。翌92年は出場機会が減少し、シーズン終了後に戦力外通告を受け現役引退。 大食漢な事から現役時代のあだ名は「メシ」。 西武で同僚だった大久保博元が2020年に自身のYouTubeチャンネルで白幡について触れており、既に亡くなられているとの事。

海賊大名XYZ

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#懐かしの左打者 広永益隆 徳島商〜南海・ダイエー(85年ドラフト3位〜94年途中)〜ヤクルト(94年途中〜97年途中)〜オリックス(97年途中〜99年) '89(ダ) 35試合 .298 4本塁打 15打点 '90(〃) 80試合 .313 8本塁打 23打点 '91(〃) 91試合 .232 8本塁打 25打点 '92(〃) 81試合 .176 6本塁打 18打点 '93(〃) 19試合 .174 0本塁打 3打点 '94(ヤ) 44試合 .238 1本塁打 2打点 '95(〃) 39試合 .191 2本塁打 9打点 '96(〃) 20試合 .379 2本塁打 10打点 '97(〃) 5試合 .200 0本塁打 1打点 (オ) 8試合 .222 1本塁打 1打点 '98(〃) 41試合 .220 2本塁打 9打点 ※通算成績 463試合 183安打 .247 34本塁打 116打点 パンチ力ある打撃で主に代打の切り札として活躍。ダイエー初年度の89年開幕戦に代打でプロ入り初出場し、開幕戦では初となるプロ初打席初本塁打(同時にダイエー球団第1号、パ・リーグ平成第1号)を放ち、翌90年にプロ野球通算6万号、92年にパ・リーグ3万号、平和台球場公式戦最終本塁打と、ダイエー時代は記念のホームランを数多く放ち「メモリアル男」と呼ばれた。後に移籍したヤクルトでも巨人戦での代打サヨナラ弾、オリックスではロッテが当時の連敗記録を更新した一戦で、史上初の代打の代打でサヨナラ満塁弾(同時に史上2人目の両リーグで代打サヨナラ本塁打)と、それぞれ印象に残る一発を放った。通算34本塁打中、約半数の14本が代打本塁打(歴代7位タイ)。

海賊大名XYZ

60,259 次观看 • 1 个月前

#懐かしの助っ人 ルイス・ロペス 広島(1996〜97)、ダイエー(1998)、広島(2000※途中入団〜02) '96(広) 130試合 .312 25本塁打 109打点 '97 (〃) 134試合 .320 30本塁打 112打点 '98(ダ) 134試合 .294 17本塁打 68打点 '00(広) 93試合 .313 20本塁打 88打点 '01 (〃) 138試合 .308 32本塁打 100打点 '02(〃) 80試合 .245 5本塁打 33打点 来日1年目の96年から中軸打者として活躍し、2年連続で打点王に輝きベストナインに選出。97年はリーグ最多安打(170)のタイトルも獲得したが、オフに契約がこじれて退団。ダイエーに移籍した98年は長期離脱した小久保(脱税で開幕から8週間出場停止処分、復帰直後に右肩故障)の代役として3割近い打率を残したが、本塁打・打点が中軸としては物足りない点や小久保の右肩手術からの回復、台頭してきた松中を来季は一塁で起用する構想などから1年で解雇。翌99年はアメリカ独立リーグでプレーし、2000年シーズン途中の5月に広島復帰。同年は93試合で88打点をマーク、翌2001年は3割30本100打点と2年続けて好成績を収めた。「三冠王」を目標に掲げて挑んだ2002年は開幕早々に同僚・前田の走塁を巡ってトラブルを起こし10日間の謹慎処分。その後はモチベーションの低下で成績も低迷し、同年限りで退団した。2006年から楽天の駐米スカウトに就任し、2010年はブラウン監督の誘いで楽天二軍打撃コーチを務めた。2012年からは横浜DeNAの国際担当スカウトを務め、ソト、ピープルズらの獲得に携わった。

海賊大名XYZ

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