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次回 #テレメンタリー「生涯挑む 〜62歳で医師に 87歳の現在〜」 子育てが一段落したタイミングで受験勉強を始め、55歳で秋田大学医学部に合格。2001年当時、過去最高齢の62歳11カ月で #医師免許 を取得した仙台市の #安積雅子 さん(87)。 その挑戦がもたらしたものとは? ナレーション #余貴美子

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「医師になる夢」を叶えた。 それでも——37歳の女性研修医は過労で命を落とした。 2016年1月、新潟県新潟市。 「新潟市民病院女性研修医過労自殺事件」。 木元文(あや)さんは、看護助手として働きながら医師を目指して勉強を続けていた。 簡単な道ではなかった。 働きながら受験勉強を続け、2007年、新潟大学医学部に合格した。 努力を積み重ね、ようやく夢だった医師になった。 周囲からも真面目で責任感が強い人として知られていた。 しかし、その夢の先で待っていたのは—— 異常な長時間労働だった。 何が起きたのか。 2013年から研修医として勤務を開始。 2015年4月、後期研修医として新潟市民病院へ移った後、救急患者対応の呼び出し勤務が急増した。 昼夜を問わず呼び出された。 十分な休息はなかった。 慢性的な疲労が続いていた。 遺族によると、死亡前の時間外労働は最も多い月で251時間に達していた。 過労死ラインは月80時間。 251時間は その3倍を超えていた。 2016年1月24日夜。 木元さんは家族に行き先を告げず、一人で自宅を出た。 翌朝、自宅近くの公園で亡くなっているのが見つかった。 37歳だった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 医療現場では長時間労働が常態化していた。 「医師だから仕方ない」 「患者の命を守るため」 そんな空気が、過酷な労働環境を正当化していた。 木元さんは、看護助手から努力して医師になった人間だった。 ようやく掴んだ夢だった。 それでも その現場は彼女を守れなかった。 🔴 労災認定 2018年7月、新潟労働基準監督署は、木元さんの自殺について「過労が原因」として労災認定する方針を決定した。 長時間労働と精神的負荷の関連が認められた。 しかし—— 刑事責任を問われた人物はいなかった。 251時間働かせた。 救急呼び出しを繰り返した。 命を救う医師が、過労で命を失った。 それでも 「医療現場だから仕方ない」 で終わらせていいのか。 看護助手から努力して医師になった女性が 夢を叶えた先で過労死した。 あなたは、月251時間働かされた末に命を落とした37歳の女性医師について、何を思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

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親友に、「会いに来て」と誘われた。 その部屋で、 彼女の首は 切断されていた。 2014年7月26日、長崎県佐世保市。 「佐世保高1同級生殺害事件」。 松尾愛和さんは明るく面倒見が良いと評判だった。写真部に所属し、日常の風景を撮り続けていた。歴史が得意で、将来は大学の文学部に進みたいと話していた。1学期は無欠席で、生活態度も真面目だった。 その愛和さんが15歳で死んだ。 犯行時刻とみられる午後8時ごろ、2人は加害者がひとり暮らしをするマンションの一室で過ごしていた。加害者は愛和さんの頭部を金属製の工具で何度も殴り、犬のリードで絞殺した。さらに遺体の首と左手首は切断された。 母親が「7時ごろに帰る」というメールを受け取った。 その後、愛和さんは戻らなかった。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 実は、多くの専門家が事件の前から加害者の少女に関わっていた。カウンセラーも、精神科医も、児童相談所も。 サインは、あった。 何度も、あった。 加害者の少女は小学校のときから人間関係でトラブルを度々起こしていた。 冷蔵庫の中には猫の頭蓋骨が見つかった。中学生のころから繰り返し猫の解剖をしていたと供述した。 それでも、誰も止めなかった。 加害者は取り調べで淡々と語った。 「中学生の時から殺人欲求があった」 「人間でも試してみたかった」 「解体してみたかった」 反省の言葉は、一切なかった。 🔴 処分と判決 加害者の少女は高校1年生のとき医療少年院に収容された。2021年、23歳になる前に、収容先の少年院長が26歳になるまでの収容延長を決定した。26歳まで延長するのは前例がないとされた。 刑事裁判:なし(少年法により) 加害者からの謝罪:なし 遺族への賠償:なし そして加害者の父親は、事件後に自ら命を絶った。 愛和さんの遺族は言った。 「一生、赦しはしない」 教育はもちろん大切だ。しかし、もしも誰かがもっと深く加害者の心の病理性に関われていたら、結果は違っていたかもしれない。 カウンセラーがいた。 精神科医がいた。 児童相談所がいた。 全員が、関わっていた。 誰も、止めなかった。 愛和さんは「会いに来て」と誘われた友人を信じて、その部屋に入った。 その選択を、誰が責められるのか。 「解体してみたかった」と語った16歳は少年院に入った。少年法に守られ、刑事責任を問われることはなかった。 愛和さんは15歳のまま、時間が止まった。 あなたは、何度もサインを出していた加害者を止められなかった大人たちと、少年法で守られた加害者に、どう向き合いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

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閉じられた扉の向こうで、 姉弟は約50日間、待ち続けた。 それでも—— 誰も、助けに来なかった。 3歳の桜子ちゃんは、 冷蔵庫の辛子とマヨネーズを舐めた。 カップ麺の容器も、残らず舐めた。 それを、1歳の弟・楓くんにも分け与えた。 2010年、大阪で起きた 「大阪二児置き去り死事件」。 2010年7月30日、大阪市西区のマンションで 3歳の女の子と1歳9ヶ月の男の子の遺体が発見された。 死後50日。 部屋はゴミと排泄物にまみれていた。 エアコンは止まり、水道も出なかった。 姉弟は何をしていたのか—— 食べ物がなくなると、桜子ちゃんはゴミを漁った。 製氷庫に残った氷の結晶まで舐めた。 それでも弟に分け与え続けた。 最後に桜子ちゃんは食中毒を起こし、 弟より10時間以上早く息絶えた。 母親は、その間どこにいたのか。 男性と過ごし、海水浴に行き、ホテルに泊まっていた。 その様子をSNSに投稿していた。 しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。 3月から5月にかけて、 近隣住民が児童相談所に複数回通報していた。 「子どもの泣き声がずっと聞こえる」と。 児相職員は部屋を5回訪問した。 しかし、5回とも—— インターホンを押して、帰った。 ドアを開けなかった。 中を確認しなかった。 調査を打ち切った。 2008年に改正された児童虐待防止法では、 職員が強制的に立ち入る権限が与えられていた。 しかし2011年時点でその権限が使われたのは、 全国でたった3件。 扉一枚を開ける権限があった。 法律も、権限も、通報も、あった。 それでも、二人は死んだ。 🔴 判決 2012年、大阪地裁は懲役30年。 裁判長は 「犯行態様はむごいの一言に尽きる」と述べた。 同時にこうも言った—— 「被告1人を責めるのはいささか酷だ」と。 母親自身も幼少期にネグレクトを受け、 中学時代には性被害に遭い、 22歳で養育費もなく、親族の援助もなく、 公的支援の使い方すら誰も教えてくれなかった。 5回、扉の前に立った大人たちは インターホンを押して帰った。 桜子ちゃんと楓くんが 「お腹すいた」と泣いていたかもしれない扉の前で。 この国のシステムは、 子どもの泣き声より、 「不在確認」という書類を優先した。 あなたは、この事件を 「母親一人の罪」だと思いますか。

Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ)

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【石丸伸二が考える未来とは】 2/8に仙台で開催された石丸さんの講演会に行ってきました。ライオンズクラブさんの主催で、石丸さんと学生たちとの対談も行われたのですが、会場は大いに賑わいました。 私が素晴らしいなと感じたのは、その会が本当の意味で学生たちのためのものであったこと。 こういったイベントだと、時に企業や団体や政治家の活動PRが目的で、そのために若者が駆り出されるという不純な意図が混じったものもあり、事実私もそれを目にして来たことはありました。 しかし、この会では学生たちや若者が一番前に座り、我々大人は後方席。質問も学生たちだけができるという形でした。大人は若者の話を聞くために、見守るために集まっている構図です。 最初に石丸さんの講演が30分ある予定でしたが、なんと石丸さんが「若者達の話す時間を少しでも長くしましょう」と言い、短めに切り上げました。 その後、中学1年生から大学4年生まで8人の学生たちが壇上に上がり、それぞれにいろんな思いや疑問を語るわけですが、その時、石丸さんと司会の方が彼らが話しやすいように促していて、学生たちの言葉に思わず拍手が鳴るという場面もありました。 その日は、はじめから終わりまでずっと若者たちが主役であり、ライオンズクラブの方々もまた、彼らのために企画をし、準備をしてきたのだなと。 終わったあともライオンズクラブの方々が登壇した学生たちと笑顔で「どうだった?緊張した?」などと話していたのが印象的でした。 石丸さんは「場末のネットメディアをやっております」というジョーク以外に自分のことは語らず、PRも宣伝も何一つせず、限りある時間を全て若者たちに使いたいという意思が感じられました。なんなら石丸さんが一番楽しそうにしてるなと思ったくらいです。 私もその日、大人の自分が若者にしてあげられることは何かなと、ずっと考えました。これからそれを、少しずつ実践していきたいなと思います。

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