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私が住んだのは、まるで秋田の「秋」の字をそのままこの世に写したような県北部の農村だった。地元の人たちは稲刈りに稲架掛けに、忙しい毎日だったが、近所同士足りない人手を助け合って暮らしていた。 私は彼らの仕事の手伝いをしたり、資格取得の勉強をしたり、秋田で気になっていた風習や風景を調べたりの秋を、1ヶ月弱にわたって続けた。 私たちはよく近くの温泉へ行った。集落で管理している共同浴場は、いつも10人くらいのお年寄りと孫らしい子供たちがいて、今日一日あったことなかったことを耳馴染みのある北東北の訛りにのせて、澄んだ温泉の注がれる湯壺に響かせていた。帰ると食卓には一昨日収穫を手伝った栗ご飯だの、山で採れたサワモダシ(ナラタケ)の味噌汁が並んでいて、本当に楽しい暮らしだった。 思い返せば、あの令和7年秋のクマ騒ぎの中をみんな必死になって生き抜いたのだ。
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