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Figures In A Landscape (1970)
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相米慎二「いい映画と言われながら人に語られもせず埋もれている映画は沢山ある訳です。鈴木清順さんのように、「映画なんかいい映画、悪い映画はない。幸運な映画があるのか、不幸な映画があるのか、その二種類しかないんだ」という風にいう方がいらっしゃるぐらいに、映画というのは大体その時の運不運で、幸運な映画、不幸な映画という風に区分けされます。あの年の(東京国際)映画祭がなければ、多分、『台風クラブ』('85)⇩というのも、いい映画ではあったけれども何か不幸な映画として、残念だったね、という風にしか語られないで終わったと思うんです。その時のベルトルッチを中心とした審査員たちが、なぜかこの映画を非常に面白がったわけです。これは、多分、僕の映画というよりも、ディレクターズ・カンパニーという僕らの仲間がつくらしてくれたエネルギーが、この映画を結実させたんです。」 -『甦る相米慎二』木村建哉・中村秀之・藤井仁子編著、インスクリプト、2011、382p
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相米慎二が選んだという邦画ベスト3の三本目: 『女が階段を上る時』(60成瀬巳喜男)⇩ 高峰秀子主演、共演は森雅之他 ペドロ・コスタが「見るたびに新たな謎を提供する、稀有の映画の一つ」と称賛した傑作
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相米慎二「僕の一本目(『翔んだカップル』)で思っていた映画と、僕が映画監督として新しく歩み出したこととの隔たりをそのまま残したまま、依然として二本目の映画(『セーラー服と機関銃』'81⇩)がつくられて、その映画が圧倒的な評価を受けて世の中に迎えられてしまったことが、むしろ…ものすごい不幸なことだったんです。不幸というのは、迎えられたこと、あるいは観てもらったことに対する喜びは片一方には必ずある訳ですけれども、自分が予期していた自分の映画監督としての映画づくりとますますこれはズレていくぞという恐怖感が、もう片一方にその時突然芽生えたというか、実感として感じられたんですね」 -『甦る相米慎二』木村建哉・中村秀之・藤井仁子編著、インスクリプト、2011、369p
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相米慎二「『ションベン・ライダー』('82⇩)というバカな映画が残したことは、一つには、50年代以降映画がお客さんから最も遠いメディアとして世の中の片側に追いやられる中で忘れてきたこと、映画本来の暗闇と対面することの中から受け取る方法の一番大きなものとしてあったキャメラというものに対する、自分なりの新しい模索をそこから始めなければならかった、ということ」 「『セーラー服と機関銃』(81)という成功の形と全然縁もゆかりもない、むしろ成功を自分が捨てる事で、役者の魅力とかホンの魅力とか当然映画を面白くみせるための要素はたくさんあるわけですけども、映画本来の持っている最も身近にあるキャメラというものをもういっぺんつかみなおしてみたいというのが、あの映画をやる気になった一番の理由なんです。それは例えば、映画が人の周りから遠くなった理由を世の中の人は色々語ります。テレビがあり、あるいは娯楽の多様性とかもう様々な分野から、映画の客が減少していったことを語ることはできるはずですけれども、作り手としての、僕達がお客さんを映画から最も離した要素の一番大きいものは、それは多分キャメラだという風に僕は思ったんです。それはテレビというメディアで育った世代が、一つには映画を観る努カ――映画を観るには多分テレビを観るような安直さでは多分映画を観ることは出来ないということに、ある一本でも二本でも映画を観た人なら気付く筈なんです。その映画を本当に面白く観るためには、ある映画の本数と、映画が持っているリズムと、映画が発散する空気をつかむ方法を自分がつかまなければ、映画というものはただ流れてゆくだけのもので、本当につまらないものだと思うんです」 -『甦る相米慎二』木村建哉・中村秀之・藤井仁子編著、インスクリプト、2011、370-371p
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相米慎二「映画というのは――これがなかなか分かってもらえないことかもしれませんけども、こういう風に監督という一人の人間が出てきて今ここでものを言っていますが、映画の面白さというもの、あるいは映画が持っている力というものは、常に監督という一人の人間に代表されるものではないんです。その映画をつくらせる環境の面白さが如実に出てしまうものが、多分、最もその映画を映画らしく、映画たらしめる要因だということを、この映画の大体の面白さというか、面白いというか、どう言うんでしょう、総括していかなきゃならないことなんです。多分、僕一人だと『台風クラブ』⇩を、本当に役者がそろっていても、実質的にはつくることは出来なかったでしょう」 -『甦る相米慎二』木村建哉・中村秀之・藤井仁子編著、インスクリプト、2011、383p
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増村保造「ショットは、いわば(映画)作家の呼吸である。人生観であり、社会観である」 増村監督、若尾文子・川口浩主演のコメディ『最高殊勲夫人』('59)から、いくぶんロベール・ブレッソンを思わせるショットで始まる場面⇩ 『最高殊勲夫人』 「もういっぺん『青空娘』をやってくれという会社の要望で、源氏鶏太の原作をとりあげました。源氏鶏太的人間ばかりが出てくる話です。しぼっていく方向としては宮口精二さんがやった親父さんを選んでピントを合わせました。それに日本の若い世代の、どんらんな消費欲を徹底的に描いて対比させようと考えた」 -『映画監督 増村保造の世界』(下)(ワイズ出版映画文庫)収録 増村保造『自作を語る』P321
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エドワード・ヤン「カメラアングルとカメラ位置を実体から切り離すと、物事は全く意味をなさない。全ての出来事には、観察するのに最適な位置が1つある」 超傑作『牯嶺街少年殺人事件』(91)から⇩
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「アウシュビッツを撮れなかった時点で映画は一度死んだ。しかしチャップリンが『独裁者』('40⇩)を撮ったことで、辛うじて映画は戦後へと生き延びた」(ゴダール)
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黒澤明「この作品(『羅生門』('50))の大きな課題の一つは、森の中の光と影が作品全体の基調になるから、その光と影をつくる太陽そのものをどのように捕えるかという問題があった。 私は、その問題を、太陽をまともに撮る事で解決しようと思った。 (中略)キャメラの宮川(一夫)君は、この初めての試みに、勇敢に挑戦して、すばらしい映像を捕えてくれた。 導入部⇩の、キャメラが森の光と影の世界、人の心の迷路の中へ入り込んでいくところは、実に見事なキャメラ・ワークであった。 後に、ヴェニスで、キャメラが初めて森の中へ入った、と云われたこのシーンは、宮川君の傑作であると同時に、世界のモノクロ映画の撮影の一つの傑作と称しても好いと思う。」 ―黒澤明『蝦蟇の油』('84岩波書店)P393~395
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キャメラマン・古谷伸「どうして加藤さん(加藤泰監督)はそんなにローアングルを狙うのですか?今まではキャメラを縦横無尽に動かしていたでしょう?そう言ったら、逆に加藤さんの方からボクにこんな質問が返って来ました。「伸チャンは芝居を見に行ったことがある?」ええ、ありますよ。「舞台というのは、お客さんの目の高さよりも上にあるものでしょう。それを二階席などから見下ろしてごらんなさい。これはもう迫力のないものです。やっぱりかぶりつきというのは、最前列に坐って舞台を見上げるから迫力があるのです。俯瞰というのは客観的な視点だから、対象を黙って見ている場合ならそれで良いでしょう。しかしボクらは映画をつくる人間なのだから、絶対にかぶりつきからモノを見るようにしないといかん。単にそれだけのことなんだ。ボクのマスターベーションです」という答えが帰って来たのです。加藤さんの理屈ももっとたくさんあったのでしょうが、とにかく「一生けんめいモノを見たいから下から見るのです」という端的な答えに落ちつきました。→ (上記、太字の箇所は原文では傍点) 加藤泰監督の傑作『緋牡丹博徒 花札勝負』('69)冒頭(撮影:古谷伸)⇩
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