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INTERVIEW【HIDEOUS DIVINITY】 「"セックス・ワーカーがメタルの品位を落とす”なんて完全に戯言。だってメタルはあらゆる音楽の中で最もオープン・マインドで包容力があるのだから。メタルを聴くバカもたまにはいるだろうがね」 メタルこそ寛容と教養の音楽。インタビュー!

48,953 次观看 • 1 年前 •via X (Twitter)

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【源平討魔伝40年の偉業/異形】 巻ノ参:異形の音楽 安駄婆の笑い声に導かれて始まる最初のステージ「地獄」。そこで耳にした曲に私はブッ飛んだ。当時、既にメタル&プログレ小僧であった私は、「メタルやプログレ」と「ゲーム音楽」は脳内で別の箱に入れていた。しかしこの曲は違った。(続く) 私には確かに聴こえたのだ、歪んだギターの音が。しかも曲調はプログレッシブ・ロックのようでもあった。私の脳内で別々の箱に分類されていたものが渾然一体となって、筐体から聴こえてきたのである。 「こ、これは!メタル…いやプログレ?モトスでもプログレっぽさを感じたけど、このメロディは和風…一体、これは何だ!?超カッコいいじゃないか!!」 無論、実際には歪んだギターの音は使われていない。その筐体の音量がバカでかかったことと、スピーカーが古くて音が歪んでいたことで、ディストーションの効いたギターのように聴こえたのだと思う。 音としては耳の錯覚だったのだが、その荒々しくも独特な音使いと激しく変化する曲構成に、私はメタル&プログレッシブロックの要素を確かに感じたのだ。 マッピーの朗らかさ、ドルアーガのクラシカルさ、ゼビウスのアヴァンギャルドさ、いずれとも全く異なる文脈から現れた、メタルとプログレの甲冑を身に纏いし異形のゲーム音楽、私にはそう思えた。 それまで聴いたこともない、この異形のゲーム音楽を聴くために、私は何度もコインを投入した。 他にも弁慶ステージの重厚な曲、琵琶法師登場時の幽玄な曲、流れるようなメロディで彩られたボーナスステージの曲など、聴きどころは盛り沢山。プログレッシブ・ロックをバックグラウンドに持つ中潟憲雄さんが作曲された楽曲群は、源平討魔伝の世界を時にきらびやかに、時に妖しく、時に荘厳に彩り、数多のぷれいやを源平の世界にいざなった。 そして何度も聴くうちに、源平の音楽は単にプログレッシブ・ロックとゲーム音楽の融合に留まらないことが分かってきた。 一つのゲームの中に多様な曲を揃えつつ、それぞれの楽曲の中にメインテーマの旋律が様々な形で現れるところは映画のサウンドトラックを思わせる趣があり、楽曲そのものがストーリーを雄弁に語っているようにも聴こえるのだ。 それを高いレベルで実現したことは、一つの偉業であると個人的には思っている。 かくて源平討魔伝の音楽は、私の脳内で新たな箱に入ることになった。単なるゲームミュージックではなく、楽曲そのものがストーリーを語る「ゲームストーリー・ミュージック」という箱に。私の中ではそういう位置に、源平の音楽はある。 この唯一無二の源平討魔伝の音楽は、数あるゲーム音楽の中でも独特の輝きを放ち、40年目の今もなお多くのぷれいや達を魅了して止まない。もちろん、私もその一人である。 ーーーーー さて、【源平討魔伝40年の偉業/異形】も次回で最終回。 桜舞い散るなか狂おしいほどの情感にあふれる曲をバックに、あの伝説的なメッセージが流れていく本作のエンディングについてポストしたい。 あとわずか…!by 安駄婆 最終回予告:巻ノ終「異形の終劇」 #源平討魔伝 #レトロゲーム

moai1234

46,597 次观看 • 6 个月前

大森さんがインスタライブで、ミセスが冷笑されること、ハスられること、斜に構えて捉えられることについて語った。「僕が音楽好きだったとして、ミセスという存在を傍から見た時に、僕もやっぱりハスるなというか、斜に構えて見るよなと思ってて。なかなかそのグループのコアな部分というか大切なものって見えないものだから。自分だったらなぁと思う、僕そっち側の人だからどっちかというと。でもだからこそ、突っ切って、ぶっぱなしたさがあるよね」と……。 少し前に、米津さんがインタビューで「(冷笑は)自分を守るために機能していることもある」と発言していたことを思い出す。そのような態度で居ることでしか自分を保てないほど苦しい境遇に置かれてる人たちなのだということが、彼には見えている。その慧眼に驚かされるとともに、どん詰まりに居る人を馬鹿にできないし置いていけないと考えるのが米津さんなのだなと思った。傷を保護する自衛としての手段、あるいは最後の砦としてのユーモアを否定しない。顔すら見えない遠くの誰かの人生にそっと想像力を伸ばせる彼が(彼は否定するかもしれないけれど)実に福祉的で、私は大好きだ。今の時代になくてはならない感覚のアーティストだと思う。 一方で、物事を誰よりも穿って見てしまう、斜に構えてしまうデフォルトの自分のネガ思考を把握した上で、いや待てよ、僕たちはいずれ灰になって空を舞うんだからその時間が勿体ない。哀しいかな、人生には意味なんてない。だからいっそのこと圧倒的に「ぶっぱなす」、ぶっちぎってみせる、そうでもしないと人生やってられんだろ!という方向にギアを切る大森さんのこともまた大好きだ。そこにはミセスの曲に共通する「ニヒリズム」から「積極的ニヒリズム」への転換がある。体育座りをして指先で傷つけあっていても仕方ない。だから彼は粛々と自分の信じる音楽を作り、ぶっちぎった先(キラキラした花道のど真ん中)で、孤独を歌おうとしている。圧倒的な熱量で、こぼれ落ちてしまった人を温めようとしている。私もド鬱のド陰キャなので、彼らのヒーロー性が眩しくて聴けないという意見にも分かるところがあるが、彼のそもそもの出発点が「拭えない孤独」であることを理解して聴くと、ミセスの楽曲は途端に深みを増すし、生きることへの起爆剤になると思っている。エンターテインメントにおいて、大衆化することとマイノリティの痛みに寄り添うことはトレードオフになりがちだ。ただ眩しいだけの光は、暗闇にいる人を時に拒絶しさらに深く傷つけてしまうこともある。そこを諦めず、「間口を広げながら、深みもつけていく」という誰も挑んだことのない矛盾する難題をやってのけようとしているのが大森さんでありミセスだと思う。正気の沙汰ではないし、ポップスを鳴らす覚悟が半端ない。もはや狂気だ。 どちらも根は同じド陰キャなのだが、発露の仕方が異なるのがおもしろい。 ここに風くんが居たらなんと言うかな、と想像しながらフフフとなる。「冷笑?なんでそんな疲れることしとるん?何なんw にんげんのみなさま、貴方こそが神で、貴方こそが愛。それを忘れないで」とあの優しげなトーンで言うかもしれないし言わないかもしれない。​「ハスる」「冷笑する」という自意識のこんがらがったゲームそのものを、彼なら「それ、幻じゃが。お疲れさまぁ」とお茶を差し出すように軽やかに無効化してしまいそうだ。やはり大好きだ。 ​米津さんが「暗闇に一緒に腰を下ろしてくれる人」ならば、大森さんは「自らの闇を焦がす光で世の中を照らす人」であり、風くんは「そもそも私ら、最初から光の中に放り込まれとるが?」という人なのではないか……冷笑をきっかけにそんなことを思ったりした。彼らの音楽がそれぞれのアプローチで、生きづらさを抱える私に気づきをくれ、肯定してくれることに感謝している。同じ時代に異なる三つの光。日本の音楽シーンは今日も豊かで楽しいね。

ナギ

935,233 次观看 • 1 个月前