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「美談で着地する話しか社会は咀嚼できなくなっている」 「本人が無駄だと思っていることは、(何の糧になっていないとしても)許容していいんじゃないか」
9,191,941 görüntüleme • 2 yıl önce •via X (Twitter)
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全編はここから。

山田さんはいつもいいこと言うし、正直に話してくれるから好きな人や。梅田のイベントで営業してる時に話しかければよかったと今でも後悔している

「でもその経験があったからこそ🥹」って、 言う側やその記事なり映像なりを 受け取る側は気持ち良くなれるんでしょうけど、 当事者はホントに心から 苦しんでいた場合がほとんどだから 「辛くて良かったね👍✨」 って言われている気分になって複雑😰
これは「社会は美談の着地しか咀嚼できなくなってしまった」んじゃなくて そもそも「多くの人間は辛い着地を受け止めきれない」んですよね。 美談という形に咀嚼することでどうにか受け止めているだけなので、 これは最近の話ではなく昔からそうなんです。

なんかずれてる人多いな 何でも糧になると言う人を否定してるんじゃなくて 無駄だったと言う事を否定しなくても良いじゃないかって話でしょ この人の引きこもり期間が第三者から見て無駄かそうじゃないかの感想なんて的外れも良いとこだよ

頭木弘樹さんの「病気から何かを学びましたか?」という質問に対して「病気から何も学ばなくて良いんじゃないかな。溺れてる人についでにアワビ取ってきてって言うようなもんだから」という返しが好き。

確かに。 無駄を無駄だったと本人が笑い飛ばすと異質な感じがする社会になってる気がしますし、無駄を無理やり無駄じゃないように考えるのは個人的な体験談として生き方の認知が過剰にゆがむ気がします。無駄を無駄としてありのまま受け入れる方が自然だと考えます。

本人が無駄だったと捉えている事を、 周りが無駄じゃなかったですよとするのは、 大きなお世話です。押し付けです。 なんでも美談にしたがるのは、お節介。 本人の人生で、本人の人生観があります。

無駄を無駄だと認めることからしか、無駄をなくそうという改善はできない。 美談にしてしまうから無駄なことがいつまでたってもなくならない。
