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台湾の映画監督ホウ・シャオシェン(侯孝賢)は今日4月8日で79歳。 3年前、アルツハイマーのため家族によって引退が発表された。 「私がいつもロングショットを使う傾向があるのは、登場人物の背後で起こっているもの、つまり俳優の背後の物、風景を見せるのが好きだからだ」 傑作『風櫃の少年』(83)⇩ 『恋恋風塵』『悲情城市』『黒衣の刺客』他

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60年前(1966年)の今日5月25日、ロベール・ブレッソン監督の傑作『バルタザールどこへ行く』がフランスで一般公開された。 ゴダール 私にはラストでバルタザールが羊の群れにかこまれて息をひきとる場面⇩は、ほかの場面以上に即興的につくられたのではないかと思われます。 あなたははじめは、三、四匹の羊しか考えておられなかったのではないでしょうか? ブレッソン 即興的につくったということについては君の言うとおりだが、羊の数についてはそうじゃない。というのも、ぼくは実際は、三、四千匹の羊をつかおうと考えていたからだ。でもそれだけの羊を手に入れることができず、そのために、即興演出がなされたわけだ。たとえば、全体があまり貧弱なものにならないようにするために、羊を柵のなかに囲いこまなければならなかった(三、四本の木を森に見せようとする場合といくらか似ているわけだ)。でもぼくが思うのに、どんな場合でも、考えこむことによって得られるものよりはむしろ、いきなり頭にうかんでくるものの方が、その人がつくるもののなかで最もすぐれたものになるものなんだ。ぼくの場合も同じで、紙のうえでは解決することができず、白紙のままにしておいた困難な問題を、カメラをつかってたまたま解決することができたときにこそ、ぼくがつくるもののなかの最もすぐれたものをつくっているはずなんだ。 そして、こうしたことがたびたびおこるようになると――今ではこれはぼくの習慣になっているんだが――、次のことがわかってくる。つまり、紙に書かれた言葉や観念によっては到達することができなかったものごとを、カメラの背後に立つことによっていきなり見つけ出すとき、それによって得られる見方(ヴィジョン)は、それらのものごとを最も映画的なやり方で――つまり、最も創造的で力強いやり方で――発見ないしは再発見させてくれるということだ。 (〈カイエ・デュ・シネマ〉誌第178号('66年5月号)に掲載されたジャン=リュック・ゴダールとミシェル・ドラエによるロベール・ブレッソンへのインタビューから抜粋 『作家主義――映画の父たちに聞く』(奥村昭夫訳、1985年リブロポート) P439-440)

nave

10,832 次观看 • 4 个月前

『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』は、原作を超えたのか。 結論から言う。 超えた部分もある。だが、原作にしかない怖さも失われた。 長文です。動画も作りました。 映画化としては、かなり成功している。 しかし、すべてが原作以上になったわけではない。 まず、映画が原作を超えたと感じた点を三つ挙げる。 一つ目は、音である。 漫画では、セイレーンの歌声も、波の音も、攻撃の衝撃も、読者が頭の中で想像する。 だが映画では、それらが具体的な音として押し寄せてくる。 特に、かわいらしい画面と、重く響く音の落差がすごい。 人魚をめぐる真相も、漫画ではコマと擬音によって距離を保てたが、 映画では音が付くことで、行為の暴力性が一気に現実へ近づく。 二つ目は、時間である。 漫画は自分の速度で読める。 怖い場面で止まることも、前のページへ戻ることもできる。 一方、映画は観客を決められた速度で物語の先へ運ぶ。 島へ着いた直後の楽しさ。 島民たちとの交流。 セイレーンの出現。 そして真相。 楽しい時間が少しずつ壊れていく流れを、観客は止められない。 この逃げられなさは、映画だからこそ成立した恐怖である。 三つ目は、登場人物の感情である。 ちいかわが怯える呼吸。 ハチワレが状況を理解しようとする声。 ラッコが危険を前にして見せる緊張。 うさぎの予測不能な動き。 漫画では小さな表情の変化として描かれていたものが、 声と動きによって立体的になっている。 特にヒトハとフタバは、真相を知ってから見返すと、 沈黙や視線の一つ一つが別の意味に見える。 これは映像化の大きな成功である。 では、原作の方が優れている部分は何か。 一番は、余白である。 漫画では、残酷な行為そのものをすべて説明しない。 コマとコマの間に、読者が想像する空間がある。 何が起きたのか。 どんな気持ちだったのか。 この先、二人はどうなるのか。 答えを与えすぎないからこそ、読後に不安が残る。 映画は音と動きで情報が増えた分、原作の曖昧さが少し減っている。 もう一つの弱点は、映画として観ると、 中盤の反復が長く感じられる可能性があることだ。 島での楽しい時間と、セイレーンによる被害を丁寧に積み上げる構成は、 原作ファンにはうれしい。 しかし、初めて触れる観客には、 物語の本当の焦点が見えるまで時間がかかるかもしれない。 そして最大の問題は、映像が豪華になることで、 残酷な物語まで娯楽として気持ちよく消費できてしまうことである。 アクションの迫力。 歌の魅力。 かわいい登場人物。 それらが強いほど、本作が描く罪や責任が薄く見える危険もある。 それでも私は、この映画化を高く評価する。 理由は、原作を分かりやすい子ども向け作品に変更せず、 ナガノ作品の不穏さを残したからである。 原作を超えたかどうかを、勝ち負けで決める必要はない。 漫画は、余白で怖がらせる。 映画は、音と時間で逃げ場を奪う。 同じ物語を、異なる方法で怖くした。 映画を観た人は、ぜひ原作も読んでほしい。 映画で具体化されたものと、漫画で最後まで曖昧なまま残されたもの。 その違いを比べたとき、 『人魚の島のひみつ』という物語の異常な完成度が、さらに見えてくるはずである。 あなたは、映画と原作、どちらが怖かったですか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

44,708 次观看 • 2 个月前

2024年は私にとって幸せな年でした。 キムスヒョン俳優のファンになってから最高の1年だったと言っても過言ではありません。 2025年もGood dayで素敵な歌声とカッコよく可愛い俳優の姿が見られて本当に最高でした。 3月9日までは… その後突如未曾有の出来事に襲われて今に至りますが、これは私にとって決して最悪の出来事だけで終わったわけではありません。 私は2013年に"太陽を抱く月"を観てキムスヒョン俳優のファンになり、以来一筋に応援しながら俳優の演技、人間性、生き方、考え方など全ての面で魅了され続けてました。 でも今年3月にあの悲惨な出来事がなければ絶対に知ることのできなかった俳優の人間としての真の姿を見て、知って、私はそれまで自分が12年間俳優を応援して来たことが決して間違ってはいなかったと確信する事ができたのです。 その確信は俳優が集中攻撃を受けてどんなに辛い時でも私の自尊心を高い所へと押し上げてくれました。 俳優を追い続けて来た今日までの13年間は私の宝物です。 その中でも今回の出来事により何があっても絶対に揺らぐことのない俳優への絶対的な信頼を抱くことができた事は、私にとってこの2025年がただ最悪だっただけの1年ではない理由です。 今はだだ2026年が2024年を超えるくらい素晴らしい1年になる事を心から願っています 2026年こそ絶対にキムスヒョン俳優の真実が証明されますように🙏🏻 #김수현 #kimSooHyun #キムスヒョン #WeStandWithKimSooHyun

hikari

14,372 次观看 • 9 个月前

実写版『薬屋のひとりごと』。 芦田愛菜さんが猫猫を演じることに、注目が集まっています。 でも私は、この実写化で一番難しいのは、猫猫ではないと思っています。 動画も作成しましたので、テキスト・動画お好みでご覧ください。 ズバリ、壬氏である。 これは、かなり難しいと思う。 なぜなら壬氏は、 「イケメン俳優を連れてくれば成立する人物」ではないからだ。 まず壬氏について、原作やアニメを観ている人なら分かると思う。 とにかく美しい。 ただのイケメンではない。 周囲の人間が思わず見惚れてしまうほどの、 人間離れした美貌を持つ人物として描かれている。 しかも、その美しさ自体が物語の中で意味を持っている。 ここが実写化最大の難関である。 漫画やアニメなら、作画によって「この世のものとは思えない美貌」を作れる。 キラキラした演出を加えることもできる。 周囲の人物が壬氏を見て頬を染めれば、 視聴者も「とんでもなく美しい人物なんだ」と自然に受け入れられる。 だが実写では、現実の人間が演じる。 どれだけ美しい俳優でも、視聴者にはそれぞれ好みがある。 つまり、作品側が「絶世の美男子です」と設定しても、 映像だけで全員を納得させるのは、ものすごく難しい。 一つ目の壁が、これだ。 そして二つ目。 壬氏は、美しいだけではない。 表向きは余裕があり、人当たりもよく、猫猫をからかうこともある。 だが物語が進むと、それだけではない顔が見えてくる。 立場ゆえの重さ。 猫猫への執着。 思い通りにならないことへの感情。 時には、子どものような一面まで見せる。 つまり、「完璧な美男子」を演じるだけでは壬氏にならない。 美しい。余裕がある。だが、猫猫の前では崩れる。 この落差が壬氏の魅力である。 ここを少しでも間違えると、ただのナルシストにも見える。 逆にコミカルに寄せすぎると、壬氏が背負っている重さが消えてしまう。 三つ目が、猫猫との関係である。 ここも、めちゃくちゃ難しい。 壬氏は猫猫へ強い興味を持っている。 ところが猫猫は、壬氏の美貌にほとんどなびかない。 むしろ面倒くさそうに扱うことすらある。 この温度差が、二人の面白さだ。 だから壬氏役の俳優には、 「視聴者から見れば圧倒的に魅力的なのに、猫猫には刺さらない」 という状態を成立させる必要がある。 これは、かなり特殊な演技である。 単純な恋愛ドラマなら、二人が美男美女で、徐々に惹かれ合えば成立する。 だが『薬屋のひとりごと』は違う。 壬氏がどれだけ美しくても、猫猫の興味は毒や薬へ向いている。 このズレを実写で面白く見せられるか。 私は、かなり重要だと思っている。 そして今回、面白い情報が一つある。 壬氏役は、まだ正式発表されていない。 だが、もう決まっている。 原作者の日向夏さんが撮影現場を見学した際、 壬氏役の俳優と実際に会ったことを明かしている。 あまりの完成度に、一緒に来ていた姪御さんの目が肥えてしまうと、 その目を覆ったほどだという。 日向夏さんは、その俳優を「リアル壬氏」とコメントしている。 これは、期待してしまう。 少なくとも原作者が実際に対面して、「壬氏らしい」と感じる人物が選ばれている。 さらに今回の実写版は、 衣装やヘアメイク、セットにもかなり力を入れていることが明らかになっている。 つまり、壬氏の美貌を俳優一人だけで成立させようとしているわけではない。 衣装。髪型。照明。美術。カメラ。VFX。 そうした映像全体で「壬氏」という存在を作るはずである。 私は、ここが成功の鍵だと思う。 実写版『薬屋のひとりごと』で本当に見たいのは、 「誰が壬氏を演じるのか」だけではない。 「現実の人間で、どうやって人間離れした壬氏を成立させるのか」。 ここである。 芦田愛菜さんの猫猫も、当然楽しみだ。 だが、実写化の難易度だけで言えば、私は壬氏の方が上だと思っている。 そして原作者からすでに「リアル壬氏」と言われている、未発表キャスト。 一体、誰なのか。 発表された瞬間、間違いなく大きな話題になる。 あなたは、壬氏役が誰だと予想しますか。 コメントで教えてください。

榊󠄀原清一 / 人財版 令和の虎 主宰

130,606 次观看 • 1 个月前