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皆神山。天之御中主を御祭神として祀る。 世界最古のピラミッド説が残る 長野県 皆神山 山頂の皆神神社は 創造神 天之御中主を祀る 奥の祠では 宇宙の安定を示すとされる六芒星を 『籠目』として崇拝する カゴメの宮 が設置されている 六芒星はユダヤ人のものではなく 宇宙生命全体の象徴か!?

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5月12日、葵祭に先立ち斎行される「御蔭祭(みかげまつり)」。 これは、比叡山山麓の御蔭山に鎮まる御蔭神社で新たにお生まれになる御神霊を、神馬にお遷しし、下鴨神社へお迎えする大切な神事です。 御蔭祭は、我が国最古の神幸列を今に伝える祭ともされ、古代の信仰のかたちが現在まで受け継がれています。 【午前9時|下鴨神社】 舞殿での勧盃の儀・樹下神事の後、神職・氏子による行粧が楼門より出発。 神さまをお迎えするための、祈りの道が始まります。 【正午|御蔭神社】 御生神事。 新しい御神霊がお生まれになる、御蔭祭の中心となる神事です。ここで神威を神馬へお遷しし、本社へお迎えします。 【午後1時|賀茂波爾神社(赤の宮)】 道中では路次祭が行われ、舞楽「蘭陵王」が奉納されます。 神さまの道行きを寿ぎ、地域と神社が祈りをつなぐ時間です。 【午後4時|下鴨神社・糺の森 切芝】 切芝神事、東游、そして還立の儀へ。 新たな御神霊を本殿へお迎えし、下鴨神社の御神霊と一体となることで、神さまの力が新しく満ちていきます。 この流れを知ってご覧いただくと、御蔭祭は単なる行列ではなく、葵祭へとつながる「神迎え」の祈りであることを感じていただけるはずです。 5月12日、千年以上受け継がれてきた神聖な祈りに、ぜひ心をお寄せください。 #下鴨神社 #御蔭祭 #日本最古の神幸列 #葵祭 #糺の森

下鴨神社

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保江邦夫さんが感じた「天河神社は、ほかの神社と何が違うのか」 奈良県天川村の深い山あいにある、天河大辨財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)。一般には「天河神社」と呼ばれています。 保江邦夫さんは、この神社について「行けば分かる」「ほかの神社とは違う」と語り、自身の場合、長く続いていた激しい咳が、参拝後にピタリと止まったと話しています。 もちろん、これは保江さん個人の体験であり、神社に病気を治す医学的効果が確認されているわけではありません。 では、保江さんが特別だと感じた天河神社は、実際にどのような場所なのでしょうか。 三つの巨大な霊場の「真ん中」にある神社 天河神社がまず変わっているのは、その位置です。 公式サイトによると、天河神社は、古くから信仰を集めてきた高野山・吉野・熊野を結ぶ三角形のほぼ中央に鎮座しています。 つまり、山岳信仰を代表する三つの大きな霊場に囲まれた場所に、天河神社があるのです。偶然の地理と見ることもできますが、昔の人々は、この場所を複数の聖地を結ぶ重要な地点として意識してきました。 さらに、天河神社は大峯山修行の重要な拠点とされ、役行者や弘法大師・空海など、山岳修行と深く関係する人物の伝承も残っています。単に町の守り神として建てられた神社ではなく、山の中で修行する人々が立ち寄り、祈りを重ねてきた場所なのです。 「水・音・芸能」を支配する弁財天 天河神社の中心に祀られているのは、弁財天です。 弁財天は、一般に財運の神として知られています。しかし天河神社では、それだけではありません。 公式の由緒では、弁財天は水の神、音の神、芸術の神、財宝の神として説明されています。そして境内全体が、音や響きに感応する神聖な庭のような場所だとされています。 水は、姿を変えながら流れます。 音は、目には見えませんが、体を震わせます。 芸能は、人間の内側にある感情を外へ引き出します。 天河神社は、願い事を紙に書いて終わる場所というよりも、音や水、身体感覚を通して、人間の内側を動かす神社として信仰されてきたのです。 保江さんが「本を読んだだけでも、ほかとは違うと感じた」と語ったのも、こうした天河神社独特の世界観と無関係ではないのかもしれません。 神社なのに、仏教や修験道の気配が濃い 天河神社には、神道だけでは説明しきれない雰囲気があります。 中央には弁財天、右には熊野権現、左には吉野権現が祀られ、神と仏を分けずに信仰した神仏習合の形を現在も残しています。 明治時代以降、日本の多くの場所では神社と寺がはっきり分けられました。 しかし天河神社には、神道、仏教、修験道、山岳信仰、龍神信仰、芸能奉納といった複数の流れが、今も重なるように残っています。 普通の神社が一つの入口を持つ建物だとすれば、天河神社は、いくつもの入口が奥で一つにつながっている洞窟のような場所です。 訪れる人によって、音楽の神社にも見える。 修行の神社にも見える。 水や龍神の神社にも見える。 あるいは、自分の内面と向き合う場所にも見える。 その「一つに決められない感じ」が、ほかの神社とは異なる印象を生んでいるのでしょう。 なぜ神社の正面に能舞台があるのか 天河神社の拝殿の向かいには、能舞台があります。 現在も能、神楽、音楽などが神前に奉納されます。室町時代には、観世元雅が能を奉納し、世阿弥も使ったと伝わる能面「阿古父尉」を寄進した記録が残っています。 芸能は、現代では人に見せる娯楽と考えられがちです。 しかし昔の芸能は、神に見せ、悪霊を鎮め、祖先を慰め、人と神をつなぐ儀式でもありました。天河神社の公式由緒にも、猿楽や田楽が奉納され、神と人が一体になる聖地と考えられていたことが記されています。 つまり、この場所では歌や踊り、楽器の音そのものが祈りです。 静かに頭を下げるだけでなく、音を響かせることで神とつながろうとしてきた。この点は、多くの神社とはかなり違います。 三つの鈴が重なった、謎めいた神宝「五十鈴」 天河神社を象徴するものが、拝殿前にある独特の神宝、**五十鈴(いすず)**です。 一般的な神社の鈴とは形が異なり、三つの球状の鈴が組み合わされています。天川村の説明では、この五十鈴は天河神社に古くから伝わる独自の神宝で、「みむすび」の精神を表すとされています。 「みむすび」とは、人と人、神と人、心と身体など、離れているものを結び直す考えとして語られます。 三つの鈴は、バラバラに鳴っているようでありながら、一つの響きを作ります。 それはまるで、人間の身体、心、魂が、ある瞬間に一つの音へそろうことを表しているようにも見えます。 保江さんが参拝後に身体の変化を感じたという話も、こうした「身体と意識を結び直す場所」というイメージに重なります。ただし、ここから先は信仰や個人の感じ方の領域であり、科学的な因果関係は確認できません。 「呼ばれなければ行けない神社」という言葉の正体 天河神社には、しばしば、 「神様に呼ばれた人しか行けない」 という言い伝えが語られます。 ただし、これは公式に定められた教えではありません。実際には公共交通機関でも参拝でき、神社も交通案内を公開しています。 それでも、この言葉が広がった理由は分かる気がします。 天河神社は奈良市街から離れた山村にあり、思い立って駅前から数分で行ける場所ではありません。予定が不思議と決まらない人もいれば、反対に、偶然が重なって急に行くことになる人もいるでしょう。 そして、苦労して山の奥へ入り、独特な鈴の音や能舞台、神仏習合の空気に触れる。 すると人は、その旅全体に意味があったように感じます。 「自分で来た」というより、 「ここへ連れてこられた」 という感覚になるのかもしれません。 保江さんが感じた「違い」とは何だったのか 保江さんの話をそのまま整理すると、天河神社の違いは、豪華な社殿や有名な御利益ではありません。 実際に訪れたとき、身体にまで変化を感じたこと。 神社へ行く前から、本を通じて特別な感覚があったこと。 そして、言葉ではうまく説明できないものの、「行けば分かる」と感じたことです。 歴史的に見ても、天河神社は確かに少し変わっています。 三大霊場の中央にあり、山岳修行の拠点となり、水と音と芸能の神を祀り、神道と仏教が重なり、正面には能舞台があり、独自の五十鈴が鳴る。 いくつもの信仰と歴史が、一つの山中の神社に折り重なっています。 だから天河神社では、何か新しいものをもらうというより、もともと自分の中にあった感覚が、鈴の音や山の静けさによって急に表へ出てくるのかもしれません。 保江さんの咳が止まったという体験は、信仰によるものだったのか、山の環境や心理的な変化によるものだったのか、それとも私たちがまだ説明できない別の何かが、あの五十鈴の響く場所で起きていたのでしょうか?

角由紀子のヤバイ帝国

45,922 views • 19 days ago

伊勢の神宮で最も重要な行事である「式年遷宮」に向けて多くの神事が斎行されるが、その中でも特に重儀な神事の一つであるのが御樋代木奉迎送へ参列。 神社関係者として謹み有難く御樋代木を曳させて頂いた。 遡る事令和6年4月、天皇陛下の御聴許(ごちょうきょ)を賜り正式に「第63回神宮式年遷宮」の諸準備が始まった。 ​令和7年1月、天皇陛下の御治定(ごじじょう)を賜り御杣山(みそまやま)が木曽谷国有林(長野県木曽郡上松町)と裏木曽国有林(岐阜県中津川市付知町)に、2月には山口祭、木本祭、御杣始祭、裏木曽伐採式の日程が決められた。 御樋代木とは皇大神宮・豊受大神宮それぞれの御神体をお納めする御器を造るための御料木で、御杣山から伐り出される一万本以上にものぼる御用材の中でも最初に奉採される代表木で御祝木・御神木とも呼ばれ神聖視され、数ある御用材の中でも御神木と呼ばれ最もおめでたき御神木として特に丁重に扱われている。 長野県(木曽)と岐阜県(裏木曽)で伐採された御神木はそれぞれ愛知ルート・岐阜ルートを経て各地で奉祝を受けながら、伊勢の入り口である桑名の地で合流、その後、伊勢まで運ばれる。 この一連の行事が御樋代木奉迎送行事であり、伊勢国の入口である桑名の奉祝行事は最大規模とされる。 20年に一度のこの神事に参列させて頂け感謝。 天照大御神、豊受大御神の御神体をお納めする御神木を曳かせて頂きつつ、国家皇室の更なる弥栄を祈念した。

山下弘枝

12,593 views • 1 year ago

出羽三山神社松例祭「国分神事」は元旦0時に始まる羽黒修験の勢威を示し領界の安寧を約する儀式。日本六十六州の内、東国33カ国を羽黒が、24カ国が新宮本宮の熊野、9カ国を英彦山が制する。それぞれの神を表す山伏達が定尺棒という境界の象徴を巡って領土を決する。この時、山伏達は「反閇」を踏む。これを見に来ました。松例祭国分神事は、神事に於いて直接的に、陰陽道や修験で行われてきた呪的ステップ・反閇が踏まれる。古く大陸の治水の神、禹王の歩き方に因むという独特な歩行法によって大地を踏みしめ、邪気を払い大地を活性化させる。 この反閇によって山伏達の領域が確定し、領土の安寧と豊穣を約するという予祝の神事である。 反閇(禹歩)は伝統的でよく知られるのは北斗七星を踏むもので、それ以外にも能や神楽など伝統芸能の中で反閇に類する足捌きがそれぞれにあるが、松例祭国分神事の反閇は、よく見ればわかるが五芒星(セーマン)を踏んでいる。この形になったのは最近のこと、とのことだが、羽黒修験では秋の峰入りの際にも「千鳥の反閇」なるものが踏まれるそうであるので反閇の伝統があるのだろう。 左から反閇を踏んでくるのが所司前という羽黒権現の化身。右側から来ているのが熊野と英彦山の神。定尺棒を挟んで所作を行う。 現代の神事、祭礼の中で生きている反閇(それも羽黒修験オリジナル反閇!)確かに拝しました。元旦から幸甚也。重畳重畳。

幣束

139,651 views • 6 months ago