Loading video...

Video Failed to Load

Go Home

マンリッヒャー M1895(M95)。19世紀末にオーストリア=ハンガリー帝国で開発された革新的なボルトアクション式ライフル。天才銃器設計者フェルディナント・フォン・マンリッヒャーによって設計され、第一次世界大戦において同帝国の主力小銃として過酷な戦場を支えた。→

25,673 views • 1 month ago •via X (Twitter)

0 Comments

No comments available

Comments from the original post will appear here

Related Videos

共産主義を作ったのは、大英帝国だった‼️ これ、学校で教えてくれないんですよね。 まず前提として、フランス革命も実は大英帝国が仕掛けたものでした。 そして共産主義という思想そのものも、ロシア革命も、全部大英帝国が設計していたということです。 歴史の教科書には、こういうことが一切書かれていない。 それ自体が、すでにおかしいと思いませんか。 共産主義はヨーロッパで生まれた思想なのに、なぜ実際に革命が起きたのはロシア、中国、キューバ、ベトナムだったのか。 先進国のヨーロッパでは、なぜ一度も共産主義革命が成功しなかったのか。 答えは単純です。 貧しい国ほど不満を持つ国民が多く、政府も弱い。 つまり外部からの介入に無防備なんです。 共産主義とは、社会が発展していない国ほどよく効く、欠陥理論だったわけです。 共産主義とは要するに、イギリスが使った政府転覆の道具でした。 しかも巧妙なのが、王室や貴族の財産には一切触れず、中間層のブルジョワだけを標的にしていたこと。 共産党宣言を読んでも、王室の土地や財産を返せとは、一言も書かれていないんです。 イーロン・マスク氏のような派手な大富豪は敵にするけれど、タックスヘイブンに隠した資産にはノータッチ。 この思想の設計図が、誰のために描かれたものか、よくわかりますよね。 マルクスはロンドンに住みながら、イギリスを民主主義と称してロシアを批判し続けていました。「大英帝国の、スパイでした」 クリミア戦争の最中にNYトリビューン誌に寄稿した記事では、革命民主主義とイギリスの利益は一致していると書いています。 植民地戦争をやりまくっていた大英帝国を民主主義と呼ぶ。 もうこの時点で、答えが出ていますよね。 そしてロシア革命。 レーニンもトロツキーも、1902年にロンドンで活動していた人物です。「大英帝国のスパイ」 第一次世界大戦中、イギリスはロシアを味方に引き込みながら、同時にロシア経済を内側から壊していました。 物価は2年で4倍に上がり、首都ペトログラードでは1万5千人収容の兵舎に16万人が押し込まれていました。 暴動が起きない方がおかしい状況を、意図的に作り出していたんです。 トロツキーはイギリス軍に一度拘束され、釈放後すぐにロシアに渡り、1年も経たずにボリシェヴィキのNo.2になっています。 軍歴もなく、海外暮らしの人物が、です。 どう考えてもおかしいですよね。 レーニンに資金を届けたパルブスという人物も、イギリスのスパイであったとされています。 そのパルブスは、武器商人バジル・ザハロフと繋がっており、ザハロフはイギリスから騎士の称号を授与されていました。 商売経験ゼロの言論人が、異国の地でわずか5年で大富豪になっている。 その背景に何があったか、もう明らかですよね。 そして決定的な証拠が、革命後の行動です。 レーニンとトロツキーは政権を取った後、帝政時代の秘密条約を公開・破棄しました。 この条約でロシアが受け取る予定だったコンスタンチノープル周辺の領土は、これによってイギリスのものになりました。 さらに、ペルシャ北部の油田地帯も大英帝国の手に渡りました。 これは完全に大英帝国にしか得のない行動です。 革命のトップ2人が、これを決めた。 トロツキーは後に、スターリンによってイギリスのスパイとして起訴されています。 歴史はちゃんと、答えを残しているんです。 ロシア革命後の内戦で、ソ連は推定1000万から1700万人が死亡しています。 大英帝国の目標だったロシアの弱体化は、見事に達成されたわけです。 フランス革命、共産主義の誕生、ロシア革命。 点と点が繋がってきますよね。 大英帝国が200年かけて設計してきた戦略の全体像が、少しずつ見えてきます。 やり方には賛同出来ないけど、トランプ大統領が行っている事は大英帝国潰しです。

トッポ

22,905 views • 4 months ago